激しい行動化
学校では時に激しい行動化をする子どもたちがいます。行動化というのは、心の中の葛藤を抱えきれず、行動で表してしまうことです。それが激しい場合があるのです。
たとえば、窓ガラスを割りまくったり、イライラが募って、突然学校から出て行って道路に飛び出そうとしたり。昔の非行少年のように、大人や学校に反抗しているわけではないのです。グループでやるわけでもなく、単独の場合がほとんどです。
医療との連携が求められたり、すでに何年も医療的な対応がなされていることもあります。親も先生も困り果てています。
そのような子どもであっても、落ち着いているときには話が通じます。しかし、行動化の真っ最中では何を言ってもダメです。半狂乱の状態で暴れまくり泣きわめいて、まるで我を忘れてしまっているようです。
そうなってしまうと、おそらく本人も自分をコントロールできない状態になっているのだと思います。
ある生徒(架空事例)
ある小5の生徒のことで相談を受けました。かれはこれまでの小学校生活のうち、2年間は精神科への入退院を繰り返してきました。身体は小柄なのですが、行動化が激しく、突発的に学校の器物を破損したり、先生たちの車を傷つけたり、死に直結するような危険な行為に及んでいたのです。
保健室でカッターをもって気に入らない先生を切りつけようとしたり、暴れて器物破損を繰り返しその被害額は相当なものになっていました。もはや学校では対応が難しかったようです。
この生徒が、長期の入院生活を終えて学校に戻ってきました。最初のうちは落ち着いて生活していましたが、やはり行動化が激しくなり、危険な行為が目立っていました。
先生たちは何とか対応していましたが、ある時、かれは行動を止めようとした校長先生を突き飛ばし、校長先生に大けがを負わせてしまったのです。何とかこの子を正常に戻そうとしてきたのですが、うまくいかなかったようです。もはやこの子とのかかわりを拒絶したり怖がっている先生も少なくありませんでした。
「どうすればいいでしょうか?」
「どうすればいいでしょうか?」という相談です。どうしようもありません。再入院して、長期的な展望をもって心理治療をしないことには、どうしようもなさそうです。
学校には同級生などいろいろな人がいて、難しい勉強があり、ルールや縛りもあります。時にいさかいや言い合いも起こります。おそらくそのような環境では刺激が強すぎるのでしょう。心が脆弱な場合、すぐに心の統制が崩れてコントロールを失ってしまうのだと思います。
意外なこと
私の結論は再入院ということだったのですが、それにしてもどのような子なのか。それが知りたくて少し詳細を尋ねてみました。そうしたら意外なことが分かりました。
この子は、同じクラスの子どもや担任の先生には「ギリギリ手を出さない」そうです。一番被害に遭っているのは同じクラスの子どもであり、担任だと思い込んでいたので意外でした。
ここからある仮説が浮かんできました。あくまでも仮説であり、仮説的ストーリーです。
仮説的ストーリー
おそらく、かれは、自分でも心の内に湧きあがってくる衝動的で爆発的なエネルギーを統制できず、コントロールを失っていたのでしょう。しかし、心の健康的な部分(パーツ)も残っていたのだろうと思います。
その心の健康な部分の働きによって「ぎりぎり」同級生や担任に手を出さなかったのだと思います。心の健康な部分は、同級生や担任のことを大切に思っていたのかもしれません。
ですが、その統制はすぐに崩れてしまいます。そうすると心は全て不健康な部分で埋め尽くされてしまいます。
かれはそんな自分をもてあまし、その罪悪感や無力感に苦しんでいたのではないでしょうか。そして、心の健康な部分は、自分を止めるには、外の力に頼るしかないということをどこかで気づいていたようにも思います。
仮説的ストーリー1
それが校長先生に向かった理由のように感じられました。校長先生というのは、この子の生活圏から遠い存在です。身近な友だちや先生ではなく、心理的距離も遠いでしょう。
この子にとって校長先生は、罪悪感を高めない、そして大切な人も傷つけないですむ対象だったのかもしれません。だからといっては校長先生に悪いですが、攻撃が向いたのかもしれません。
仮説的ストーリー2
あるいはもう少し考えてみると違うストーリーもありそうです。心の健康な部分が校長先生に攻撃を向かわせたというストーリーです。
心の健康な部分は、不健康な部分をもはや統制できないことが分かっています。ですから「不健康な部分を統制するために自分を病院に入院させてほしい」と訴えかけていたのかもしれません。
「校長先生、自分を出席停止にして、病院に入院させてください」。半狂乱の中でもわずかに残っている心の健康的な部分は、そのことを必死に校長先生に伝えていたのかもしれないのです。出席停止処分を下せるのは校長先生だけですから。
そう考えると、「ぎりぎり」健康な部分が働いたからからこそ、これほど強い攻撃性が校長先生に向かったのかもしれないのです。
教育的ストーリーを
この子を再入院させるという際には、「病気だから」、「他の子どもを守るために」、「危ない人だから」病院に入院させるというストーリーはあると思います。排除のストーリーです。普通はそのような流れになっていたことでしょう。それもやむを得ないと思います。
しかし、「この子には健康な部分が残っている」、「その心の健康な部分が入院を訴えかけている」、「健康な部分がもっと成長できるように」、「それを我々は応援するし待っている」というストーリーもあると思います。
ちょっと都合が良すぎでしょうか。被害に遭われた人にとっては承服しかねるストーリーかもしれません。しかし、どちらが教育的ストーリーなのか、ということはすぐにわかると思います。
教育の場では、できるだけ教育的なストーリーを考えたいと思っています。教育的なストーリーには、成長可能性や希望を見出せるように思います。それは子どもや保護者にとっても支援的だと思います。
結局、この子は再入院になったようです。その後どうなったのか。今でも時々思い出します。

