このダンゴムシを預かっていて!

こころの成長

ダンゴムシと低学年

 ダンゴムシに魅かれる子は多いものです。とくに幼稚園児や小学校の低学年の子はそうだと思います。小さくて、動きが遅く、攻撃されても反撃せずに、ただ丸まってじっと耐えている姿が、なんとなく自分の在り方と重なるのかもしれません。

 ですから、子どもにかかわっていると、ダンゴムシが登場するエピソードもいくつかあります。

不遇な児童

 ある児童は、家庭が貧しく、保護者は子育てができる状態ではありませんでした。この子は保育園にもほとんどいけず、家では放置されているような状態だったそうです。

 小学校に入学してきた当初は、はっきりと発音できず幼児言葉を話し、授業中でもスーッと教室を抜け出したりするので、すぐに目立つ存在になっていきました。お箸を使って食べることも難しいようで、特別な支援が必要と考えられていました。

生き生きとし始める

 勉強にも興味は示さなかったのですが、粘り強くかかわっていった先生たちのおかげで、次第に読み書きや計算ができるようになり、すると、グングンと学力が伸びていき、言葉も明瞭になっていきました。

 わたしも数週間に1度ですが、1時間程度、この子とお絵かきをしたり、ゲームをしたりしながら、かかわる時間をもてました。この子の成長はすさまじく、10月の頃には、表情も動きも生き生きとして見違えるように成長していきました。

「先生、このダンゴムシ、預かってて!」

 そんなある日の昼休み。外で遊んでいたこの子が、校庭の日陰でぼんやりしていた私のところによってきて「先生、これ預かってて!」といって一匹のダンゴムシを手渡し、また遊びに行ってしまいました。よくみるとダンゴムシは真っ白になっていて、死骸であることが分かったのですが、預かった以上、仕方がありません。

 どうしてダンゴムシの死骸なんかを大切に持っていたのだろう、どうして預かってほしかったのだろうと考えてしまいました。もし、この子がダンゴムシの死骸を通して、何かを私に預かってほしかったとしたなら、それは、いったいどんなものなのでしょうか。

意味を考えてみる

 「元気そうに見えても、私の心はまだまだ死んでいる。だからそんな気持ちも忘れないで」ということを伝えたかったのかもしれません。そう考えると、”グングンと伸びているけど、焦りは禁物”と考えることができそうです。学校は「これができると次はこれ」という具合にどんどんと進んでいきますから。

 「元気になったけれども、死んでしまった私の心も大切に預かっていて」という思いかもしれません。成長するということは、これまでの自分が死んでいくことでもありますから、そこに悲しみも含まれるものです。そんな繊細な気持ちや不安を共有してほしいのかもしれません。

 「私の心はダンゴムシを卒業して、もっと強くて大きなものになってきたよ」という気持ちでしょうか。でもそうであれば、もう少し大きくて元気な昆虫に目を向けてもよさそうです。

「このダンゴムシ、どうする?」

 そんなことを考えていると、休み時間の終わりのチャイムが鳴って、この子は昇降口に帰りかけました。私はあわてて「このダンゴムシ、どうする?」と声をかけたところ、この子は木の下を指さして、「ここに埋めよう」といって穴を掘り始めました。最後は二人でお墓を作ってお祈りをしました。この子は「よし!」といって教室に戻っていきました。

 結局、この子が何を預けたのかは分かりません。この交流には、大した意味はなかったのかもしれません。ただ、このエピソードには意味があるのではないかと、そういうことを想像しながら、子どもたちと一緒に過ごすのもスクールカウンセラーの仕事のように思います。

タイトルとURLをコピーしました