ある教室の風景
小学校4年生の算数の授業を観察しました。子どもたちは課題をしていたのですが、課題が早く終わって、先生にお願いされた人は「ミニ先生」として活躍していました。
まだ課題が終わっていない人に「ミニ先生」として教えてあげる役割です。もちろん勉強ができる子どもが選ばれるわけです。選ばれた子どもは誇らしい表情をしていました。
ただ、「ミニ先生」に選ばれた子の中には、教え方がとても厳しい子がいます。
厳しい「ミニ先生」
372÷4のひっ算のやり方を教えていました。ある「ミニ先生」は、自分が教えている子が分からないと、次第にイライラして口調が荒くなっていきました。
「えーっ!こんなものできないの!どうしてできないの、早くやってごらん。違うでしょ。3の中に4はいくつあるの?そう、ゼロだよね、だから今度は37の中に4はいくつあるって考えるんだよね。わからないの?9個あるでしょ。だから9って書いて。ちがう、そこじゃなくて、ここに書くの!」とこんな調子で続きます。
それをみた周りの子が「えーっ、その問題は、そんなに難しくないじゃん。そんなのも分からないの?」とささやいています。
今にも泣き出しそうな子
このように教えられている子は、今にも泣きだしそうです。私も見ていて苦しくなるほどでした。でも、わかるようになりたいから必死にこらえて考えています。馬鹿にされても粘ってじっと耐えていました。そして課題を一生懸命に考えていました。
ミニ先生も、バカにしてやろう、いじめてやろう、などという気持ちは一切なかったと思います。普段は穏やかでいい子ですから。いい子だからこそ、どうにかしてできるようにさせようと必死だったのだと思います。
「ミニ先生」の効果
ミニ先生というのは、教える側にも教えられる側にもメリットがあると考えられているようです。
教える側のメリットは、人に教えることで、自分が分かっているつもりになっているところや、分かっていないところを発見できて、より学習が進むということです。
教えられる側のメリットは、先生に教えてもらうことよりも、同級生に教えてもらう方が、分からないところなどを気軽にきけて、学びが進むということのようです。
教え方を教える必要性
しかし、ミニ先生を導入するのならば、教え方を教えないとミニ先生で傷つく子がたくさん出てきてしまうでしょう。
どのような教え方が良いのかという教授法、できない子に対してどこまでやればいいのかの範囲などは、しっかりと説明しておく必要があると思います。
その後、どうなったか
涙をこらえて頑張っていた子は、その数週間後、算数のテストで良い点をとれたと嬉しそうにしていました。ひっ算も時間内にできるようになっていたようです。
できない、わからないに「耐える力」
能力という言葉を表す英語はいくつかあります(詳しくはこちらへ)。その中でも、学びには「分からないことに堪える力(capability)」、「何も知らない子どもであることに耐える力(capability)」がどうしても必要です。
「できない」、「わからない」に伴う悲しみや苛立ち、屈辱といった負の感情を抱えつつ努力する必要があるからです。
涙をこらえて教えられていた子は、このような能力(ケイパビリティ)も高まったのだと思います。先生や保護者の人たちには、こういう能力があることも知ってもらって、たとえできなくても、ケイパビリティは伸びている可能性にも目を向けてほしいものです。
ネガティブ・ケイパビリティ
苦しい気持ちを心に抱える能力をネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)ということがあります。そして、新しいことを学ぶときにも、このネガティブ・ケイパビリティが活躍します。
たとえ状況は変わらなくても
カウンセリングでは、障害を負ってしまった、大切な人を亡くしてしまった、ということを主訴としてやってくる人たちがいます。
その状況自体は、カウンセリングをしたとしても変わりません。それでは、カウンセリングを受ける意味などないのでしょうか。そんなことはありません。
カウンセリングを継続していくうちに、状況は変わらずとも、このネガティブ・ケイパビリティが高まることも多いものです。苦しい状況の中で耐える力です。
そして、これに耐えているうちに、苦しさが緩和されてきたり、これまでにはなかった新しい能力が伸びたり、まったく関心のなかったことに興味が向いたり、新しい出会いが起こってくるのです。
新しい道が開ける
こうなっていくと、クライエントの新しい道が切り開かれているような、そんな感覚にカウンセラーもクライエントもなるのです。希望の光が見えてくるとでも言えるかもしれません。
ですから、カウンセリングでは、さまざまな能力のうち、このケイパビリティ(抱える力)という能力の開発がなされているのだと思います。
耐えるばかりが人生ではないと思いますし、避けられる苦労は避けた方が良いと思います。しかし、どうしても耐えなければならないことが多いのもまた人生。苦しみに耐える力は一生をかけて開発していかなければならないのだろうと思います。
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