家と「こころ」

潜在意識

こころの表現力

 その人のこころの状態をどのように捉えるのかということは、心理療法においては最重要課題の一つと言えます。心理アセスメントといわれる領域の話です。

 心理検査を使って、心の状態を捉えようということが考えられますが、ここでは、少し違ったアセスメントについて考えてみたいと思います。

 「空間に心が表れる」という観点からです。こころが自分に対して、自分の状態を伝えるために、空間をつかってコミュニケートしてくる、という観点です。

居住空間が語ること

 整理整頓ができていない部屋というのは、物の置き場所が決まっておらず、目的に沿った道具の配置もなされていません。これはいろいろなことを表現しているかもしれません。

 物の置き場所が決まっていない→こころが自分の落ち着きどころ(納めどころ)をもてていない。そういうことを心は自らの意識に知ってもらおうとしている。その結果が、今の部屋の状態のような気がします。

 物があちこちに散らばっている→こころが目的もなく、さまよっている状態。たとえ目的があったとしても、それを効率的に処理できない、非効率にしか動けないという状態。人生の見通しが立っていない状態かもしれません。

 物が詰め込まれている→心の中が必要のないもので埋まっていて、何を残して、何を捨てるかの判断ができないという状態。

 もちろん、忙しくて片づけができないという場合も多いと思います。しかし、少し考えてみると、やはりこのことは当てはまる気もします。

ある家庭訪問にて

 時々、家庭訪問をします。この家庭訪問の時、よく感じていたことに家全体が醸し出す雰囲気というのがあります。

 むかしむかしのまだナビが発達しておらず、スマホもない時代ことです。

 家庭訪問をするときは、だいたいどのあたりに家があるのかを調べてから訪問するのですが、目的の場所がハッキリしないということもよくありました。

 全く分からないわけではありません。一緒に訪問した人たちと「このあたりの数件のうちのどれかだよね」と話をするくらいまでには限定できるのです。

 しかし、最終的にどこが目指す家なのかが分からないのです。当時から表札をつけていない家も多かったのです。

直観を頼りに

 そういう場合は仕方がありません。あたりをつけるしかないのですが、多くの場合、この家かな、とあたりをつけてチャイムを鳴らします。

 あたりのつけ方なのですが、訪問した同僚たちと、「直観でいいから、どの家だと思う?」、などと話し合って決めていました。そして、「ここ」と決めた家は大体当たっていました。

直観の手がかり

 この直観の手がかりは、その家全体が醸し出す雰囲気です。何か暗くどんよりしている感じがするのです。そういう気が家全体を覆っているのです。

 もう少し具体的にいうと、庭の木はうっそうとしていて、芝生は伸び放題です。たとえ草花が生き生きとした季節であっても、その家だけは、花など咲いていないのです。人の手が入っていない庭といってもいいと思います。

 新築の家の場合もありました。ですから、お家自体はきれいなのですが、やはり庭を中心に全体としてどんよりです。

 これは少し遠くから眺めるとよりはっきりします。となり近所と比較できるからです。

身体言語

 身体言語という言葉があります。表情や口調、目線、姿勢、身体の緊張具合などが、まるで言葉を発しているように、心の状態を伝達してくるのです。

 身体の症状が身体言語になっていることもあります。吐き気は何か飲み込めない想いがあったり、頭痛は頭の痛いことが何かあるという具合です。

 身体の消化不良は心の消化不良を表していると考えることも有益です。この場合、食べているものが身体の栄養にならないのと同じように、生活が心の栄養になっていないのかもしれません。

現場の環境言語

 これと同じように、環境言語というものもあるように思います。部屋の様子や机の上の状態、持っている物、そして整理整頓。このようなものを通して、こころが自らの状態を伝達しようとしているのです。

 心の状態を、「環境からアセスメントすること」、つまり環境言語を読み解くということも現場レベルではよくなされているのです。これは必ずそうであるというものでは全くありません。

でも、そのように考える余地を心の中に保ちながら、カウンセラーは日々、クライエントさんと会っているのです。

 

 

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