「カウンセラーをしています」というと
「自分はカウンセラーをしています」と話すと、人によって反応はいろいろです。「他人の悩みばかり聞いていて、あなた自身の悩みはどうやって解決しているの?」という反応が一番多いでしょうか。これは、カウンセラーのセルフケアという領域があるほど、カウンセリングの中でも大きなトピックです。
「カウンセラーは大変な仕事ですね。私にはとてもできない」と率直な感想を言う人もいます。人の悩みを聴くと心が消耗するということを、みんなよく知っているわけですね。
「カウンセリングってどうやって終わるのですか?」
たまに「カウンセリングって、どうやって終わるのですか?」と聞かれることがあります。こういう人は、以前、カウンセリングを受けてみたけれど、続けられなかったという人に多いようです。
時間もお金もかかりますから、カウンセリングを続けるというのは、努力が必要になります。ですから、やめてしまうこともあるわけです。「でも、続けていたらどうなっていたのだろう?」と考えるようです。「実は、またカウンセリングを受けてみようかと思って・・・」ということもあります。
苦しさは消えない
カウンセリングを終えるとき、クライエントさんの悩みはどうなっているのでしょうか。前にも書きましたけれど、あるクライエントさんとのカウンセリングが終結したとき、「あなたとのカウンセリングの経過を研究したい」と申し出たことがあります。
すると「先生の中では終わったことかもしれませんけど、僕の中ではまだまだ続いていることなので、終わらせてほしくない」と言われて、許可を得られなかったことがあります。「自分の問題は解決しておらず、ただ、自分なりに抱えられるようになっただけである」ということのようでした。
日常が忙しくなってくる
終結間近になっていくと、クライエントさんは、日常生活が忙しくて、カウンセリングに行けないという状況が続いていくこともあります。
カウンセラーとしても「あのクライエントさんは一山超えたかな」と思えるようなとき、クライエントさんの日常生活が忙しくなっていくならば、やはり、悩みはありながらも、日常も忙しく充実してきているのだろう、と判断できることも多いものです。
自分の足で歩く
青年期くらいの若いクライエントさんの場合、終結が近くなってくると、「今日はバスに乗らずに、駅から1時間かけてここまで歩いてきました」ということもあります。元気が出てきて気力が充実しているという雰囲気です。
まるで、「もう自分の足で歩けるようになっている」、「自分の足で歩くことが心地よい」ということを伝えてくれているようです。こういう状態になると、終結は近いかな、などと思ったりします。
新しいことへのチャレンジ
「これまでやりたいと思っていたことを始めた」、「昔していたことをもう一度始めている」、というように、新しいことのチャレンジが始まるときにも、クライエントさんは一山超えて、終結に向かっていることも少なくありません。これも新しい方向に向かって歩み始めているということなのでしょう。
怨念が枯れていく
カウンセリングの中で話している間中、親に対する恨みつらみを語り、怨念めいたものが漂って、カウンセリングルームの空気が重くなるクライエントさんがいました。話を聞いているこちらまで息苦しく心がどんよりするのです。
この人の場合、終結が近くなった時にも、カウンセリングの最初の10分くらいは同じような話し方でしたが、すぐに話題が変わっていくということを繰り返しました。
その怨念の重みというか湿気というか、そういうものがなくなって、語りが枯れていっているような語りなんですね。話の内容が乾いてパサパサになって、怨念の粘着力が弱くなっているようでした。同じ怨念を語るのでも、カウンセリングルームの空気はそれほど重たく感じないわけです。
この場合も、親に対する恨みつらみは消えていないけど、それはそれとして心に抱えつつ、違うことに興味が向かっているのでしょう。
「卒業」が節目になる
スクールカウンセリングの場合、卒業で終結ということが圧倒的に多いのではないでしょうか。学校で会えなくなるので、そのまま終結ということですね。
「卒業して、この子は大丈夫かな」と心配になる場合は、卒業後に行けそうなカウンセリングルームを教えたりしますが、私とのカウンセリングはそこで終結になります。
卒業を節目として、カウンセリングを終結させて、進学先で頑張っている人もたくさんいます。これまでの人生を卒業して、新しい世界に進んでいくという意味では、カウンセリングの終結は、学校の卒業の時と同じような気持ちなのかもしれません。
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