心のパーツ
心は大きく分けて二つの部分(parts)に分けることができます。「病的な部分」と「健康な部分」です。ほとんどの人は、その両方のパーツが働いています。
病的な部分とは、言葉を変えると「わがまま」だったり「自己中心的」だったり「すぐに傷つく傷つきやすさ」だったりします。子どもの部分、弱い部分と言っても良いかもしれません。
他者に配慮する余裕などなく、人のことなんて知ったこっちゃない。自分さえよければそれでよい、今さえよければそれでよい、という心です。子どもだけでなくどんな大人にもこの部分はあります。
一方、健康な部分とは、言葉を変えると「がまん」だったり「他者への配慮」だったり「傷つきに耐える力」だったりします。多少のことは我慢できて、冷静で、自分のことは自分で責任をとれる心です。小さな子どもであっても、健康なパーツは働いています。
あるお母さんの話
あるお母さんが教えてくれたことです。車で帰宅途中に、急に脇道から車が出てきて危うく事故になりかけたそうです。しかし、相手の車はクラクションを鳴らして悪態をつき、そのまま立ち去ってしまいました。
帰宅後、それを同居している母に話したそうです。すると母は一緒になって怒ってくれたそうです。しかし、それをじっと聞いていた5歳の息子は、「お母さん、そういう人は相手にしてはダメだよ、事故にならなかったからよかったんじゃない?運が良かったって考えた方がいいよ」と言ったそうです。
「一番大人だったのは5歳の息子だった」という話なのですが、これなどは、子どもにも成熟した部分が働いていることを教えてくれています。
一方的な見方の人
被害感が強く周りを攻撃してばかりのクライエントさんと会うことがあります。スクールカウンセリングの場だと「先生が悪い」、「あの子がうちの子のことをいじめている」と一方的です。
話の内容は思い込みや伝聞が多く、現実検討能力が低下している状態です。いじめられるような事態に至ったのはなぜか、という事実の経過を冷静に理解しようとはしません。「さてどうしたものか」と考えてしまいます。
それでも共感は必要か
カウンセリングでは、クライエントへの共感を大切にします。ですから、たとえ被害感の強く一方的であったとしても、まずはクライエントの立場に立って「それほど傷つけられたという思いが強いならば相当つらかったのだろう」などと共感的に理解しようとします。
しかし、それではうまくいかないことが少なくありません。クライエントさんの気持ちに沿って共感的に話を聞いていったつもりなのですが、次の来談につながっていかないのです。問題が解決したわけではなく、何も変わらず1回で終結してしまうのです。
その理由
その理由が最近分かってきました。それは、たとえ、一方的に自分の被害ばかりを訴えて周りを攻撃する人であっても、カウンセリングに来て話をしようと思う人は、どこかで、自分の病的なパーツに翻弄されている自分のことを察知しているのだと思います。
ですから、今の自分の状態を良い状態であるとは思っていないわけです。「自分のやり方が良いとは思っていない」と話す人もいます。もちろん、だからといって自分が悪い、自分も冷静になるべき、などとも思っていません。
ただ、どうしてよいのかが分からないのでしょう。そのとき、SOSを出しているのは、その人の心の健康な部分なのだと思います。その部分は病的な部分に圧倒されていますが、なんとか生き残っているのだと思います。その心の健康な部分が、カウンセリングにまで足を運ばせているのだと思います。
ですから、その心の健康な部分と同盟を組めるかどうかということがポイントになるのだと思います。
つながらない理由
クライエントに共感しようと思って、クライエントの話を共感的・受容的に聞いていくと、その病的な部分に丸め込まれるようになっていきます。するとクライエントの心の健康な部分は「このカウンセラーではだめだ」、「肝心なことが見えていない」などと判断されてしまうように思います。
そして、カウンセラーは、心の健康な部分、つまりSOSを出している部分から見限られてしまうのです。
率直に語ってみる
反対に、カウンセラーが率直に思うことを伝えてみると「あ、この人は違う」という表情をされます。たとえば、こんな感じでしょうか。
「お子さんが傷ついている以上にお母さん(お父さん)が傷ついてしまって、冷静になれていないような気がします」
「子どもの傷つきを理解しようとすることは親として大切だと思うけど、子どもの傷つきを親が奪って怒り狂うと、子どもはそれ以上、自分のことを話せなくなってしまう」
「お子さんの傷つきによって、親御さんの心が、傷ついた思春期に戻ってしまっているように感じる。思春期に傷ついた心が疼いている可能性はありませんか」
大人は大人の心(健康な部分)を保持できるから、子どもは自分の傷つきを話せるものです。このような話が保護者に通じると、次からの来談につながり、保護者のこともお子さんのことも支援する関係が築けていきます。
健康な部分との信頼関係
このようなことを、スクールカウンセリングでは率直に早い段階で指摘することがあります。そこでハッとしてくれる保護者や「そういうことを言ってくれる人はいなかった」と我に返ってくれることもよくあるのです。その瞬間、「健康な部分と信頼関係が結べた」と感じます。
クライエントから「私が悪いというのですか!」などと憤慨された経験はあまりありません。じっくり相手の話を聞いた後、心の病的な部分が弱まったあたりで話を切り出すのがポイントになる気がします。
すでに子どもが親に話をしなくなっている状態で、親もそのことにも困っているならば、なおさらこのような言葉によって健康な心の部分とつながりやすくなります。
我に返ってくれた人は、急速に健康な部分を取り戻すこともあります。それは有益な支援が達成された一つの姿だと思います。