カウンセリングは人それぞれ
カウンセリングとは、どのようなものでしょうか。クライエントは、性別も違えば年齢も違います。性格も違うし、生きてきた環境もちがいます。そして、それはカウンセラーも同じです。人それぞれです。
その両者が対話をするわけですから、その経過も人それぞれになります。カウンセリングは非常に個別性の高いものなのです。
ですから、カウンセリングの何が効果をもたらしたのか、ということを研究することは、なかなか難しいものです。
一般的に考えられていること
カウンセリングの効果は、一般的に次のように考えられているのではないでしょうか。
クライエントは心の中の恨みつらみ、悲しみや嘆き、孤独感や心細さといった、心に抱いている負の感情を口にして、それをカウンセラーに黙って聴いてもらう。こうすることによって、クライエントの心は浄化されて元気を回復していく。
あるいは、カウンセラーは、目の前のクライエントの心の状態を見立てて、その人に合った助言や解決策を示す。
そして、それらがうまく作用することによって、クライエントは困難を乗り切ることができる。このようにも考えられています。
主訴変わりという迷子状態
これらの考えは間違っているわけではありません。心を浄化したり、助言を試したりしながら、クライエントさんが回復していくことは珍しいことではありません。
しかし、仮にそのようなことがうまくいったとしても、まだ腑に落ちないというか、腹落ちしない何かが残って、心が晴れないということがあります。
つまり、主訴が変わっていくのです。クライエントさんは「このことで悩んでいる」というものをカウンセリングルームに持ってきます。それを主訴と言います。
「こどもが学校に行かない」、「気持ちが落ち込んで職場に行けない」、「毒親の影響に悩まされている」などなど。これらを主訴と言いますが、この主訴が、カウンセリングを続けていくうちに、次第に変わっていくのです。
クライエントさん自身も、何が嫌なのか、何が不満だったり不安だったりするのか、ということが分からなくなるわけです。出口が見えなくなって、心が迷子状態です。
事例研究
さて、そこからどうなるのか。カウンセリングを研究することは、このような個別性の高いプロセスを研究することになりますので、そのケースを研究することが求められます。そして、そのケースのプロセスを心理臨床の専門用語で考えることによって、一般化を目指したり経験知を共有しようとします。
事例研究と事例検討の違い
事例研究というのは、カウンセリングが終結した後に行われることが多いものです。終結してから、その経過を振り返るということですね。
振り返るといっても、終結直後ではありません。時間が経って気持ちが落ち着き、自分のしてきたことを少し距離をおいて、客観的に眺められる心持ちになってから、改めて振り返るといった感じです。
ちなみに、事例「検討」というのは、今現在カウンセリングをしているケースに対して、対応に困った場合や、進む方向性に不安を抱いたりしたカウンセラーが、他のカウンセラー仲間と一緒に、その事例を検討するということを意味します。カウンセリングの途中経過の中でなされます。
事例検討をすることによって、カウンセリング的なモノの見方やカウンセリングの技術、そして勘所を習得していくためになされます。
クライエントの許可を得る
ケースを研究するということは、世間に向かって公表するということが前提です。
ケース研究では、クライエントがどのような人なのか、どのような環境で生きてきたのかという情報を明らかにします。カウンセラーとどのようなやり取りをしていったのか、といったことを検討することにもなります。かなりプライバシーに踏み込んだ内容を記述せざるを得ないということです。
もちろん、本人が特定されるような書き方は決してしません。本質が損なわない程度の改変を加えることもあります。そうやってプライバシーの保護は徹底します。
署名を求める
研究の倫理として、「あなたとのカウンセリングの経過を事例研究としてまとめてよいでしょうか?」ということをクライエントに尋ねて、許可を得なければなりません。できるだけ文書にして署名を求めます。
文書に署名を求めるということは、口約束よりも一段高いレベルでクライエントさんに責任と覚悟を求めることになります。そのため、口約束であれば「いいですよ」といったとしても、文書に署名を求めると、「そこまでするならいやだ」と言われることもあります。
もちろん拒否されたら研究をすることはできません。そして、それはそれで良いのです。何も悪いことはありません。クライエントさんのプライバシーを守ることができたのですから。私も何人かの人から断られた経験があります。
断る理由
クライエントさんは、事例研究として研究されることをなぜ断るのでしょうか。私はその理由を尋ねるようにしています。
「事例研究をするということは、キリン先生の中では、”もう終わったこと”、ということですよね。先生は僕の悩みはなくなったと思っているかもしれません。でも、僕の中では全然終わっていないのです。だから、終わったことのようにしてほしくないのです」
このように言われたことが数回あります。そう。プライバシーの保護に不安があるといったことで断るわけではないのです。クライエントさんにとっては、まだまだ終わっていないことなので、カウンセラーにもそのことを知っておいてほしいという願いがあるのです。
「僕の悩みは、そんな簡単なことではないんだ、人が生きるということは、そんな簡単ではないのだ」ということだと受け止めています。
カウンセリングの効果
このことは、裏を返せば、「苦しみはなくなっていないけれども、苦しさを抱えられる程度には安定していられるようになった」ということでしょう。かの有名なフロイトも、精神分析は「大いなる不幸をありきたりの不幸にする」程度のことはできるのではないか、ということを言っています。
控えめな表現のように思いますが、人の苦しみがすっかりなくなる、などということは幻想なのでしょう。カウンセリングには、「苦しみを抱えられる程度になる」ことくらいは、最低限でも期待してよいのだと思います。
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