カウンセリングで答え合わせ

こころの成長

むずかしい人間関係

言葉とは裏腹に気持ちは全く違っていたり、同じ言葉でも、それを話している人同士の人間関係によって、そのニュアンスはかなり変わることもあります。

言葉だけではありません。微妙な表情やかすかな視線で真意が伝わってきたりすることがあります。人のコミュニケーションというのはそういうむずかしさがあります。

自閉スペクトラム症(ASD)

コミュニケーションを苦手とする人たちがいます。自閉スペクトラム症の人たちです。幼い時にはその症状はかなり目立つこともありますが、思春期から青年期、つまり小学校の高学年くらいになると、急速に適応に向かうこともあります。

この時期は、誰でも周りの目が気になって自意識過剰になりがちです。自分が周りの人からどのように見られているのかを気にしますので、目立たないように自分を制御しようと適応努力を重ねるのでしょう。

適応努力のプロセス

この適応努力のプロセスは、けっこう大変なようです。目指すは「普通」になることです。ただ、この「普通」というのは幅がありますのでやっかいです。

たとえば、「普通」ウソはいけませんね。それは誰もが認めることです、しかし、みんなウソをつかなければならない場面もある、ということもなぜか知っています。ただ、ASDの人はこの辺りが分からないのです。

例を挙げましょう

ある女性が髪の毛を切りすぎて、ちょっと髪型がいつもと違います。変な気もします。本人もそれを気にしているようです。そんなとき、正直に「変な髪型にしたね」などといったら人間関係は悪化してしまいます。「変じゃないよ」、「似合っているよ」などというのが正解の範囲内でしょうか。

これは確かにウソではありますが、「普通」これをウソとは感じないものです。相手への気遣い、やさしさ、配慮と感じる人の方が多いのではないでしょうか。

これは関係性によって変わります。もし、とても仲の良い人から「どうしちゃったの、その髪型!」と笑ってもらうならば、むしろその方が救われるでしょう。「全然、変じゃないよ」などと言われる方が傷つくかもしれません。

しかし、この辺りのニュアンスが分からないのがASDの特性と言えます。「どうしちゃったの、その髪型!」と笑いあっている二人の間に入っていって、自分は大して仲良しでもないのに「変だよね!」などと言って、自分も笑い合おうとします。

そして二人からは「は?」「なにあんた?」という目で見られてしまい、いつの間にか避けられてしまうのです。

どうしてあの人が「変だよね!」と言っても大丈夫なのに自分がと言ったらあんなに嫌われるのだろうか・・・。

社会的カモフラージュ

ASDの人の青年たちは、こういう失敗を繰り返していくうちに、だんだんと人との距離を見出していきます。とても辛い経験を何度もするわけです。その姿は痛々しいものがあります。

こういう青年たちは、当然、人間関係に不安を感じます。自分はまた何か変なことをしてしまうのではないかと、内面ビクビクしてしまいます。ですから、「ちゃんとしなければならない」といつも自分を厳しく統制したり、「こうすべき」「こうでなければならない」と自分に言い聞かせたりしながら、なんとか日常をやりくりしている人もたくさんいます。

いつも正解を目指しているのです。そして、そのような努力が実って、表面上は適応していて目立たないようになることを、「社会的カモフラージュ」と呼んだりします。

本人はものすごく努力して内面ではビクビクしながら生活しているのですが、表面的には何の問題もなさそうです。しかし、次第に自分をすり減らして、精神的に参ってしまうことがあります。

カウンセリングで答え合わせ

日常の人間関係を振り返り正解を探すために来談する人がいます。最初は、不安が強い、気分が落ち込む、眠れない、やる気が出ない、精神科の主治医から勧められて、という理由でカウンセリングにやってくるのです。

しかし、カウンセリングを続けていくうちに、自分の考え方や言動がおかしくなかったかどうかを振り返って、カウンセラーに意見を求めて、「日常の人間関係の答え合わせをする」といった展開がメインになっていくのです。

こういう場合は、その人の人間関係をよく聴き、状況を理解するような質問を投げかけて、「どういう考えでその言動をしたのか」、「相手の反応はどのようなものだったのか」、「その後、どんな状況になっていったのか」といったことを丁寧に尋ねながら一緒に考えていくことになります。

もちろん、「こういうやり方や考え方もあるかもしれないね」、「相手はこういう風に思ったのかもしれないよ」などと助言することもあります。そしてその助言は、大いなる資源になり安心材料にもなるようです。ですから、いい加減なことは言えません。

小学生の時は?

こういう展開になる人に、「小学生の時はどんな人だったの?」と質問してみると、「暴れてました」、「結構、人に迷惑をかけていたかもしれない」などということがしばしばあります。

目の前の今の姿からは想像ができないのですけどね。おそらく、今は適応努力中なのでしょう。こういう青年たちの真摯な姿を見ていると、心から応援したくなります。

 

 

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