ある研修会で
先日、臨床心理学のある研修会に行ってきました。研修会が始まるまで席に座ってぼんやりしていると、最近一緒に仕事をするようになったO先生が声をかけてくれました。
O先生もサイコセラピストですが、それだけでなく、気功の研修などもやっている先生です。私は最近「気」というものがなんとなくわかってきています。ですから、気功に興味があることを伝えたところ、O先生はすぐにいろいろなことを教えてくれました。
「気」が通っているところ
「気」は皮膚と筋肉の間あたりを通っているようです。私もたしかに皮膚のちょっと下から「気」を感じます。身体の奥の方から感じることはないですね。
こういうことを教えてもらうと、よりリアルに「気」を感じることができるようになります。
びっくり体験
そのあと、ちょっと不思議な体験もさせてもらいました。O先生は、「キリン先生の手で私のこの手首を上から押さえてください」というのです。ですから、私はO先生の手首を上から押さえつけました。
そして、O先生は呼吸を整えた後、押さえつけられた方の手首をスッと上に持ち上げました。私は上から押さえつけていたのですが、その瞬間、力が抜けてしまっていたのです。抜けたというよりも、手の力が消えてしまったといった感覚でした。
もう少し詳しく言うと
私は上からO先生の手首を押さえつけているわけですから、私とO先生の手は触れあっているわけです。そこに熱を感じます。そして、私は力を入れて上から押さえつけているので、それなりの摩擦というかO先生の手首の力を手に感じます。
そういったものが、一瞬で消えてしまうのです。そして気づくとO先生の手は上に持ち上がっています。一瞬のことなので何が起こったか分かりません。「あれ?」という感じです。
リラックスが通じたのでしょう
手の感覚が一瞬消えてしまったということを伝えると、O先生は、自分の「気」がリラックスしてそれがキリン先生にも伝播して、それでキリン先生の「気」もリラックスしたのでしょう、という解説でした。手の感覚が消えたというよりも、私の手はリラックスしたそうです。へー。
ただ、ちょっと納得がいきません。O先生の「気」が私の「気」を圧倒して、私の押さえつけている手が跳ね上がる感覚になるなら分かるのです。なんとなく「気」というのはそういうものだと考えていましたから。かめはめ波みたいに。
そんなことを伝えると、O先生はまた新しいことを教えてくれました。
「武」ということ
「キリン先生、武士の『武』の字ってあるでしょう。あれは戦うということではないんですよ。あの字の中には『止める』という字が入っているでしょう。あれは、戦いを止めるという意味があるんですね。戦いを止める。気功というのは武の力で争いを止めることに使われるんですね。」
たしかこのような説明でした。もっと中国の偉い先生の話や古典の話も教えてくれたのですが、うまく思い出せません。
でも、「気」というものが持つ「力」の偉大さのようなものを体験しました。
わずか数分の出来事でしたが研修が始まる前から最高の研修をしてもらった気分でした。
それにしても、おっちゃん二人で手に手をかざしてはしゃいでいたので、周りの人は不気味に思ったかもしれません。