もの忘れいろいろ

学ぶということ

頭が悪くなっている?

最近、脳の情報処理のことを時々考えます。どうも自分の頭の働きが鈍くなっていることが影響しているのだと思います。

まず、無理が利かなくなってきているように思います。10時間くらいパソコンで仕事をしていると、目がチカチカしてきて、次に頭痛がしてきます。若いころはこんなことがなかったのですが。脳がショートして頭の回線が熱を持っているのがよく分かります。そのまま続けると本当に発熱します。

やる気はあるけど脳がついていかないという状態なのでしょう。セーブすることを考えないといけません。

聞いていない

「話を聞いていないくせに返事をする」ということも起こっています。これがものの見事にきれいに聞いていないことがあるのです。これまではそんなことで注意されることはなかったのですが。しっかりと注意を向けていないからだと思いますが、それにしても若いころは、大して注意を向けてなくても、情報が頭の中に入ってきて勝手に処理していたように思います。

思い出せない

モノの名前が出てこないということもよく起こります。これはよくある老化現象の一つですね。そういう時は名前が出てくるまで思い出そうとすることが大切だと言われていますので、思い出そうと頑張ります。思い出したら「なんだ」という程度の名前です。ついさっきまでそのことを話していたのに忘れるんです。アンビリーバブルです。

二つの忘れ方

漢字を忘れることもよくあります。漢字の「読み」には問題ありません。書かれている文字がおかしときなどは、パッと指摘することはできます。それはまだ大丈夫。衰えが著しいのは書く力の方です。私の場合、書くことにまつわる忘れ方には二種類あるように思います。

もの忘れ

一つ目はモノの名前を忘れるように、漢字を忘れてしまいます。パソコンで漢字変換ばかりをしているので書けなくなっているのだと思います。検索すると、すぐに「ああそうだった」と思い出すのですが。手書きを取り入れたり、時々漢字テストのようなものをしないと、将来怖いことになりそうです。

ゲシュタルト崩壊

さて、それより怖いのが二つ目の忘れ方です。これはゲシュタルト崩壊というか、漢字は書けているのに、本当にその漢字でよかったのかということに不安を覚えるような忘れ方です。その漢字の形というか形態が奇妙に思えて覚えていたはずのものが信頼できないのです。

例えば「線」という字がありますよね。この字の形がどうもこれまで見てきた「線」とはちがったもののように変に見えるのです。違和感があるとでも言いましょうか。「こんな変な形だっけ?」と思うのです。

手紙などをすらすら書いているときにはこういうことはあまり起こりません。そういう文脈化されているときというか、状況の中で書いている分には違和感がないのですが、その文字だけを単体で書くといったようなときには「あれ?」となることがあります。

小学校で感じた不安

この前、小学校の教室を観察していた時のことです。「先生、『線』ってどうやって書くんだっけ?」と外国籍の子どもから質問されたので、書いて教えたのですが、自分が書いたその文字が急に変な感じがして「あれ?どうも変だな、これでよかったのだろうか?」ととても不安になって教科書で確認してしまいました。

結果的に間違ってはいなかったのですが、文字の形態が急に奇妙で馴染みのない崩れた感じに見えるのです。これはまずいですね。覚えていないのではなくて、覚えているけど変に感じるわけですから。こういうことが時々あって、最近一番ヒヤッとしたことは、このように漢字の形態が急に崩れたときでした。

悪いことばかりではないかも

心理療法や心理学の分野でも脳科学や神経心理学の影響はとても強くなっています。そのことは私が大学院生の時からの流れでしたが、若いころは脳の話を読んでも面白くなく、あんまりピンときていませんでした。実感が伴わなかったわけです。

しかし、脳内の情報処理に不具合が出てきたりすると、なぜそうなるのかという理由を自分自身に説明したくなりますし、実感を伴って理解できるようにもなるので、少し理解が進むんですね。

シナプス同士が電気信号をやり取りしているなどと言われても「ふーん」と思っていましたが、自分の脳が実際にショートすると、「やっぱり電気だったんだ!」などと変な感動があるのです。

そんなところから脳のことを考えていくのはなかなか面白いものです。まだそんなのんきなことを言っていられる状態ですが、もう少し、この不具合を逆手にとった学びを追究していきたいと思っています。

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