”ひらめき”とは

学ぶということ

ひらめき

カウンセリングをしていると、クライエントが「ああそうか!」とひらめくことがあります。そういうひらめきが初回の面接で起きると、それだけで面接が終結にむかうこともあります。

そのような「ひらめき」はどうして起こると説明されているのでしょうか。

認知的制約

『私たちはどう学んでいるのか』(鈴木宏昭,2022,ちくまプリマ―新書)には、ひらめきが起きるのは、認知的制約(cognitive constraint)が解除されるからである、と説明があります。

認知的制約というのは、膨大にある情報に制約を加えて、必要な情報に素早くたどり着けるように、その膨大な情報にフィルターをかけてくれる働きです。

その環境の文脈の中でふさわしい知識が創発するために、情報にフィルターをかけているのです。

この認知的制約を説明するのに、わたしがよく使う問題があります。次のようなものです。

簡単な問題

ある冬の寒い朝。急な坂道を荷車を引いている親子がいました。「前で荷車を引いているのはあなたの息子さんですか?」と尋ねると「そうだ」と言いました。そこで荷車を引いている子に「後ろで押しているのはあなたのお父さんですか?」と尋ねると「ちがう」というのです。これはいったいどういうことでしょうか。

考えてみてください。ちょっと混乱しますが、その原因は認知的制約という働きにあります。

答えは、後ろで引いているのがお父さんではなくてお母さんだったから、です。

情報のフィルタリング

「急な坂道」「荷車」「息子」という情報を入力した時点で、われわれの情報のネットワークは、非意識の段階ですでに”男”や”父”という知識を創発させています。だから、この文脈に沿って、後ろで引いているのはお父さんであるという処理がなされていると考えられているのです。

この問題では例外的に認知的制約が裏目にでましたが、普通の日常生活においてはこういう脳の働きは適応的です。

我々の脳内には膨大な情報のネットワークが張り巡らされていると考えられているのですが、そういうものにはフィルターをかけて、その環境や文脈のなかで最適解に近い知識が創発されているわけです。

そして、この認知的制約がひらめきと関係があるのです。

認知的制約の緩和

この問題に「!」とひらめいて正解するためには、認知的制約の働きをゆるめる必要があります。制約を解除するのです。答えはこのフィルタリング機能によって排除されてしまった中にあるからです。

学びほぐし

認知的制約は経験からの学びによって生み出されていきます。”わたし”の経験に裏打ちされた働きですし、この働きが適応的だからこそ、私は今日まで生き伸びてこられました。脳はそのように判断します。ですからとても強力で瞬時に働きます。

これを緩めるというのはなかなか難しいものです。緩めるためには緩めるための学びを積み上げなければなりません。学びほぐし(unlearning)などと言います。

学びほぐしは、学んだことを解除する学びですから、認知的制約を緩めるのも学びほぐし言えるでしょう。

カウンセリングの中での「学びほぐし」の例として、次のようなケースを挙げることができます。

あるカウンセリングにて

あるお母さんが相談にやってきました。娘が3人いるお母さんでした。上から中学2年生、6年生、3年生です。この3人はいつもキッチンで勉強しているそうです。

上の子はものすごく勉強ができます。学年でもいつも1番です。しかし、どこまで勉強しても安心できず、自分を追い込んで勉強をします。だからお母さんとしては、そこまで頑張らなくてもいいではないか、と心配です。

反対に次女は勉強ができません。すぐに遊んだりさぼったりします。天真爛漫なのはいいのですが、お母さんはもうちょっと勉強してほしいと思っています。

三女は、長女に似て勉強が良くできます。でも勉強ができない次女をバカにしており、勉強をできない人を虐げるような言動です。それが心配です。

お母さんの混乱

お母さんは、仕事から帰ってきて家事をしながら、子どもたちの勉強を見たり話を聞いたりして、目が回るような忙しさということです。

そして、何に困っているかというと、このように子どもたちの性格が違うので、一貫した声掛けができないということでした。

長女に言いたいことと次女に言いたいこと、そして三女に言いたいことがバラバラで食い違ってしますのです。

長女に「勉強だけがすべてではないでしょ」というと、次女は「その通り!」などといってますます勉強しなくなるだろうということでした。

それでは良い声かけとは言えないし、間違ったメッセージを発してしまうことになるので、子どもたちも混乱してしまうのではないかと話していました。何よりお母さんが混乱している様子でした。

「子どもたちには、みんなに当てはまることを同じように言わないといけない」というフィルターがかかっているようでした。

別々のことを言っても良いのでは?

カウンセラーは、お母さんが子どもたちの個性をよくつかんでいることに感心し、それを伝えたあと、「そうであれば、別々のことを子どもたちに言っても良いのではないですか?」と尋ねてみました。

「あなたたちは3人とも全然個性が違うから、お母さんは一人ずつ別々のことを言うからね!」と宣言してから「長女は・・」「次女は・・・」「三女は・・・」と話してあげても良いように思いますと伝えました。

「幼いわが子」というフィルター

お母さんは「ハッ」とした後「たしかにそうですね!」と言っていました。しかし、すぐに「でも、そう宣言したとしても、子どもたちは混乱しませんかね?」と言っていました。

おそらく、お母さんにとって子どもたちは、未だ小学校低学年くらいの「幼いわが子」なのでしょう。その気持ち、私も親だからよくわかります。親はわが子をいつまでも幼くて未熟と考えがちですからね。

たしかに低学年くらいの子だったら、「お姉ちゃんにはこういったのに、自分にはこういって、どっちが正しいのだ!」となるかもしれません。

ただ、子どもたちはすでに低学年ではありません。「もうここまで大きくなったら、『個性が違うから違うことを言うからね』と言っても、子どもたちは『それはそうだ』と思うだけで、そこにひっかかることはないと思いますよ」と伝えると、おかあさんは安心した様子でした。

お母さんにとっては、未だ子どもたちは幼いわが子だったのですね。そういうフィルターが働いているのを緩められたように思います。

このお母さんは、「また何かあったら相談に来ます」といって、とりあえず1回で面接は終結となりました。

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