日常会話での傾聴
以前、「日常会話での典型的な聴き方」ということについて考えてみました。これは、人間関係の知恵とでもいえる聴き方であり、その優れている点を考察したものです。
その優れた点は次のようなところにありました。すなわち「あまり時間を取らないで」、「お互いの心にも踏み込まず」、「それなりに善意を示しながら相手を元気づけ」、「悩んだ状態から素早く現実に戻せる」という点です。
しかし、カウンセリングでは、この「日常会話での典型的な聴き方」をあまりしません。理由はいくつかあります。
「日常会話での典型的な聴き方」だけではもの足りないクライエントさんが多いこと、関係性を重視できないこと、洞察を促進できないことなどを挙げることができます。
「日常会話での典型的な聴き方」の負の側面
この表は、分類名のところがちがっているだけで、あとは「日常会話での典型的な聴き方」のところで用いた表と同じものです。一つずつ考えてみましょう。
分類 | 具体的な言葉 |
押さえつけ | 「つらいのはあなただけではないよ」「愚痴を言っても何も変わらないよ」 |
暗に批判 | 「あなたが変わってしまった方が楽よ」 |
励まし | 他の人もみんないろいろあるけど、頑張っているんだよ。だからあなたも頑張って。 |
そらし | そんなにわるいことばかりじゃないよ。良いことにも目を向けた方がいいよ |
取り上げ | そういうこと、あるよね!私の経験では・・・。 |
共感もどき | うん、うん、わかる、よーく分かるよ。 |
ほめる | すごい! えらい! さすが! できるね! |
気持ちの収納 vs 押さえつけ
「つらいのはあなただけではないよ」の背景には、「みんなも、私も同じだから、あなたも頑張って」という気持ちがあります。相手にこの気持ちを受け入れる余裕があれば、「そうだよね、みんなも同じだよね」と言って、悩みを心の中に収納しようという気持ちを高められるかもしれません。
しかし、その善意が伝わらない場合、この言葉は「つらいのはあなただけではないから、そんな愚痴など言わないで」という「押さえつけ」の意味で伝わってしまうかもしれません。
そうすると相手は、「自分のつらい気持ちはほかの人に話してはいけないんだ」、「自分は迷惑をかけているのだ」と受け取ってしまうかもしれません。ですからカウンセラーは、めったにこういう言葉を使いません。
変化を求める vs 暗に批判
「あなたが変わってしまった方が楽よ」という言い方は、「相手を変えようとするよりも、自分が変わってしまった方が悩みの解消は早いよ」という善意から出た言葉です。確かにこれは一理あると思います。
しかし、これは、「いつまでそんなことで悩んでいるの?」、「いつまでも変われないあなたにも問題があるのでは?」という意味として伝わってしまうこともあります。
「暗に批判」されているように受け取られることがあるということです。
励まし
心がまだ元気なうちは、励まされることを応援してもらっていると解釈できて、「がんばろう」という気持ちを引き出してくれます。
しかし、がんばったのに結果が出なかったり、ひどく気持ちが落ち込んでいるときは、「もうこれ以上、がんばることはできない」、「私のこれまでの苦労を分かっていて、さらにがんばれと言うのか!」という否定的な気持ちを喚起しやすいと考えられます。
そらし
これは、相手の話を「受け流して、他に目を向けさせる」という聴き方です。もしカウンセラーがこれをするとどうなるでしょうか。
おそらくクライエントさんは、「自分の話をまともに受け止めてもらえていない」、「自分の話を軽く扱われている」、「本当に悩んでいることを言ってはいけないのだろうか」といった気持ちを募らせてしまうでしょう。
ですから、このような聴き方もカウンセラーはあまりしません。
体験談を語る vs 取り上げ
自分の体験談を語ることが、相手の役に立つという発想のもと、善意によってなされる対応です。これもカウンセリングでは気を付けた方がよい聴き方です。
クライエントさんから、「カウンセラーの先生はいろいろ人の悩みを聞いているでしょうから、私と似たような悩みも聞いているでしょう?その人はどのようにして立ち直っていったのですか?その先生の体験談を聞かせてください」などと頼まれることがあります。
もし、クライエントさんのためを思って、自分の過去の経験を披露し始めるならば、クライエントさんはよく話を聞いてくれます。すると、カウンセラーの方もますます熱心に話したくなります。
そして、最後は、クライエントではなくカウンセラーの方が話を聞いてもらってすっきりした、といったことが起こりかねません。こうなると役割が逆転してしまい本末転倒です。ですからカウンセラーは、自分の経験などあまり語らないものです。
共感 vs 共感もどき
共感することは相手に安心感を与えて、話しやすくする効果があります。しかし、「わかる、わかる、よーくわかる」などと言われると、かえって相手を不安にさせてしまうこともあります。
まだ本当の悩みの部分を語っていないうちから「わかる、わかる」と言われてしまうと、「本当に分かっているのだろうか?」、「このカウンセラーはいったい何を分かっているのだろう?」という疑念を生じかねません。
共感が反発を生むことも
カウンセラーは、相手の気持ちがなかなか分からないからこそ、一生懸命に「あなたの感じていることは、こういうことだろうか」と問いかけます。その問いかけが、クライエントの洞察を深めていくのです。相手の気持ちをすぐに分かることなどないのです。
軽率な「わかる、わかる」という言葉は、「自分のつらく苦しい気持ちがそう簡単にわかられてたまるか!」という反発を生んでしまうこともあります。
何もわかっていないうちから「わかる、わかる」と言うのは、共感というよりも「共感もどき」といってもいいでしょう。こんなこともカウンセラーはしません。
ほめる vs 称賛
称賛されることは、うれしいことでしょうから、それが心の回復を促すことはあるでしょう。しかし、「すごい!」、「えらい!」という言い方は、上から目線のもの言いとして受け止められるかもしれません。
カウンセリングでは、クライエントさんとの関係性を対等なものとして築こうとします。それは、相手が子どもであっても同じです。
ですから、クライエントさんをほめたり称賛するときというのは、それがどのような関係性の変化をもたらすか、クライエントさんにどのように受け取られるか、ということをカウンセラーは一瞬、考えると思います。
善意の落とし穴
これまで述べてきたように、「日常会話の典型的な傾聴」は、たとえ善意から出た言葉であっても、ちがう受け取られ方をするかもしれません。「善意の落とし穴」とでもいえるでしょう。
ですから、カウンセラーは、あまりクライエントさんの話に言葉をはさまず、はさむときにはよく考え、クライエントさんから「ちょっと私の話を聞いてもらっていいですか?」などと許可をとってから話す、という人も少なくないと思います。
関係性がものをいう
結局、同じ言葉を使ったとしても、それが善意として伝わるのか、それとも反発心を喚起してしまうのかは、カウンセラーとクライエントとの関係性によります。
そして、関係性をより良いものに保とうとするときには、「日常会話での聴き方」とは違った聴き方が求められると思います。そのような聴き方をカウンセラーは追究しているものです。
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