突然の訃報
元上司の先生がお亡くなりになったという訃報が届きました。急なことでしたし、なによりまだお若かったのでとても驚きました。
その先生とは20年前にしばらく仕事を一緒にして、私が異動して一度は別々になりましたが、ご縁があって最近までまた一緒に仕事をしていました。
その先生からある大切なことを教えてもらいました。それは20年前にご一緒していた時のある問いかけでした。
祖母の訃報
20年前、私は祖母を亡くして、職場を休むことになりました。そこで、同僚たちに休みを取ることを報告し、同僚たちからは「そうでしたか、ご愁傷様です」とか「それは残念でしたね、こちらのことは気にしないでくださいね」などとやさしい言葉をかけてもらいました。
当時の上司であるその先生の所にも行き、休みを取ることを伝えたところ、その先生はあることを私に問いかけました。
元上司の問いかけ
「あなたにとって、あなたのおばあ様というのは、どのような方だったんですか?」
このような問いかけをされたことがなかったので、「自分にとってどういうおばあちゃんだったかな?」と考えた瞬間、涙が出そうになりました。
その問いかけがあるまでは、休む際の段取りや各所への連絡など、私の心は祖母の死とは全然違うところにありました。
それが、その問いかけによって、私は自分の心とつながったように感じました。私はおばあちゃん子だったので、さみしい思いがこみ上げてきました。
臨床のお作法
同僚たちの「ご愁傷さまでした」「残念だったね」という言葉はとても親切で思いやりのある常識的なものでした。ですから、私もいろいろな段取りをスムースにできたのだと思います。これはこれで大変ありがたいものでした。
一方、元上司の問いかけは、私を一個の心として対応してくれたものだと思います。考えてみると、「ご愁傷」でも「残念」でもない場合だってありますからね。内心、亡くなってくれてホッとした、うれしかった、という場合だってあるはずですから。
だから、まずは「あなたにとってはどうなの?」を確認してから次の声かけをするという、些細なことではありますが、人の心に接するときの作法のようなものを教えてもらったように感じました。
ホッとしていたら
もし、私が「私にとって祖母はとても迷惑な人でした。祖母の死によってホッとしています」と答えたら、おそらくその元上司は「義理を果たしてくるんですね」とか「自分のために見送ってあげてください」などと言ってくれたのでしょうか。
もし、このように言ってもらったなら、お葬式に参列する自分にとっての意味がはっきりして、それはそれで有意義な参列になったことでしょう。
元上司のK先生、ありがとうございました。
合掌