音楽好きな青年
ある青年が進路に悩んでいました。この人はピアノがとにかく大好きで、音楽の道に進みたいと考えていました。しかし、親が許してくれませんでした。特に父親が決して許してくれず、家でのピアノ禁止令まで出されてしまいました。だから、表立ってピアノを弾くこともなかなかできませんでした。
カウンセリングでは、家以外でピアノを弾けるところを探したり、父親の説得の仕方を考えたりしていました。そういう話をしているうちに、彼は少し元気を回復しましたが、現状が変わるわけではありませんでした。
ひきこもりがちになる
この青年は、父親から学費を出してもらっているため、親に対してなかなか強くは出られませんでした。ピアノにうつつを抜かしている自分も悪いのではないか、という気持ちもあったようです。
そうやって悩んでいるうちに、気力がなくなって学業に身が入らず、次第に引きこもりのような状態になって、昼夜逆転も起こり始めていました。そんな中でも、カウンセリングだけは、かろうじて続いていました。
暇だったからピアノを弾いていた
彼はなかなか眠れなくなっていきました。ある日のカウンセリングでは、「昨晩は、布団に入っても3時間以上眠れず、することがなかったから、暇なのでピアノを弾いて、そして疲れて寝ました」とぶっきらぼうに話しました。夜中ならピアノを弾いても親にバレないと思ったそうです。
カウンセラーの引っかかり
この話を聞いて、私にはちょっと引っかかるものがありました。そこで、その私の引っかかりを彼に聞いてもらうことにしました。
「本当に暇だからピアノを弾いて、そして疲れたから寝たの?それともピアノを弾いて、やっと気持ちが安らいだから眠れたの?どっちだと思う?」
彼はとっさに「気持ちが安らいだから眠れたのかもしれない」と反応し、その考えを気に入ってくれたようでした。そして、今の自分を治すにはピアノしかないのだなあ、ということに改めて気づいたようでした。
意味を処方する
彼が話したことは聞き流せる程度のことだったように思います。「ピアノを弾いて→疲れて→寝た」というのはおかしいところなど何もありません。ただし、彼の心の現実からは遠い理解のように感じました。
そこでもう少し彼の心の現実に近いと思われる意味を処方したのが、「ピアノを弾いて→安らいだから→眠れた」の選択肢です。
傾聴と聞きっぱなし
われわれカウンセラーは、クライエントの言うことに耳を傾けて、傾聴することを大切にしています。しかしそれは、ときに聞きっぱなしになる危険性もあります。そこで、われわれも工夫をしているのですが、その一つが「意味の処方」です。
意味の処方は、あくまでもカウンセラーの仮説を提供するにすぎません。その仮説の正しさは、クライアントの心に響くかどうかが肝になります。正解はカウンセラーが持っているわけではなく、かといってクライエントでもなく、それを知っているのはクライエントの「心」である、という感じです。
「!」の意味
カウンセラーの意味の処方が正解だったら、クライエントも「あっ!」、「そうか!」といった「!」が生まれます。「!」というのは、ハッキリと言葉にできない気づき、しかし、そこに何らかの良質な意味が宿ったことを表すつもりで、この記号を使ってみました。
学びが発生する場としての「!」
「!」というのは、学びが発生する領域でもある気がします。カウンセリングには「癒し」の効果が求められることがありますが、実際は「癒し」よりも「学び」の方がよく起こっているように思います。自分自身を学ぶというのは、とても難しいことですので、一人ではなかなか学べないものです。だからカウンセリングを求めるという人も少なくありません。
カウンセリングでは、ときに「!」が発生して、自分自身への新しい学びが発生する瞬間が訪れます。このあたりもカウンセリングの醍醐味のような気がします。
※本事例は、事実の本質をゆがめない程度の改変がなされています。
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