質問は大きな介入
カウンセリングはセラピストとクライエントの対話で進みます。ですから、セラピストが質問をしてクライエントに答えてもらう場面がしばしばあります。そして、そのようなセラピストの質問の中には、それ自体が介入になっているものもあります。
よい介入というのは、セラピストが質問しクライエントが答えることによって、「肯定的なクライエント像」が浮かび上がるような質問だそうです。(東豊、2010 『セラピスト誕生』 日本評論社)
これは「肯定的なクライエント像」を「構築する質問」あるいはその「材料となる質問」です。普通、質問というのは、知らないことや分からないことがあるからするのですが、介入としての質問は、ねらいをもった戦略的なものです。
そして、その戦略がうまくいくためには、クライエントの「良いところ」をたくさん掘り起こすことが必要になります。
「良いところ」を「妄想」する
クライエントの語りの中から、たくさんの「良いところ」や「資源」を「妄想」できて、「肯定的意味づけ」ができること。これが戦略的な質問の肝です。
「妄想」というのは、かなりリアルに想像できているということですが、あくまでも根拠のないこちらの思い込みという意がこもっています。仮説のようなものです。ですから、この「妄想」には固執もこだわりもしません。
病気の妄想ではないという意味で、「 」付きの「妄想」で表記します。
「妄想」の例
「もう3年間もこの症状で苦しんでいます、先生どうしたらよいでしょうか?」と言われた場合で考えてみましょう。
そう質問されたときにはすでに、「苦しい中でこの人は3年間も工夫し知恵を使い、誰かの助けを借りてなんとかやってこられたのだろう。この人は資源を豊富に持っているのだな、それはどんなことだろう」と「妄想」するのです。
3年間の工夫や知恵というこの人の強み、助けてくれる誰かという資源などが「妄想」されているわけです。
クライエントの語りは瞬時に変わりますから、「妄想」をたくましくして、「肯定的なクライエント像」を構築するような質問を目指します。「聴く」ではなく「訊く」ことは介入です。
「落としどころ」を「妄想」できている
もう一つ大切なのが、「落としどころ」の「妄想」です。「落としどころ」ですから、ちょっと先の未来にある話の結末、良き結末の「妄想」です。
「もう3年間もこの症状で苦しんでいます、先生どうしたらよいでしょうか?」の落としどころはどこでしょうか。
落としどころの例
3年間の中で、苦しい中でも少しマシだった時、あるいは良かった時の生活を思い出してもらい、その中からできそうなことをやってみるあたりが、落としどころになるでしょうか。
3年間、自分をずっと支え続けてくれた何かがあったのでしょう。その支えをそのまま継続することこそが役に立つのかもしれません。そういう落としどころもあるでしょう。
それとも、まだ語られてはいないけれども、すでに良い変化が起こっているのかもしれません。
これも以前書きましたが、来談するということそのものが「復活ののろし」を上げに来ているのかもしれません。クライエントさんはそのことを、自分でもどこかで感じている可能性もあります。それが膨らんでいくことが落としどころになるでしょうか。
「妄想」にこだわらない
ただし、これらはすべてカウンセラー側の「妄想」です。これにこだわりません。つまり、カウンセラーの「妄想」の方に強引に引っ張っていくわけではありません。
もし「妄想」が一つでそれに固執すると、カウンセラーはそれにしがみついて動けなくなってしまいます。なので「妄想」は複数あるのが理想的です。
とはいえ、落としどころを複数「妄想」できることは並大抵のことではありません。これは、カウンセリングの数をこなすだけでなく、カウンセリングの落としどころはどこかという観点から、たくさんの事例論文を検討しておくと良いように思います。
さきの『セラピスト誕生』では、セラピストがP要素を強化することがとても役立つと書かれています。
「妄想」はゆっくりと
急ぎすぎないことも大切でしょう。急いで良いところばかりに焦点を当てていくと、クライエントさんは、話がそらされるばかりで全然聞いてもらえず、場はしらけてしまいます。クライエントさんを傷つけてしまうかもしれません。
慌てずゆっくりと話を聴きながら、頭の中では素早く「妄想」するのです。でも急がずに進みます。
自転車やバイクと同じで、早く進むよりもゆっくり進む方が難しいものです。上級者はゆっくりゆっくり進むことができます。慌てないことも大切だと思います。