スクールカウンセラーの勤務の実態
スクールカウンセラーは、毎日同じ学校に勤務するわけではありません。中学校とその学区にある小学校に勤務することが多いと思います。私は、中学校1校と小学校3校を担当していて、各学校に行けるのは月1回くらいです。多くのスクールカウンセラーも同じような勤務形態ではないでしょうか。
難しい立ち位置
ですから、スクールカウンセラーの立ち位置は難しいと思います。毎日、同じ学校に勤務しているわけではありませんので、学校や先生たちとの距離の取り方のようなものが難しいわけです。月に1度だと、子どもの名前と顔は一致しませんし、担任の先生に対してもそうである場合もあります。その時々で、どのようなことが学校の重要なトピックになっているのかを掴むのにも時間がかかります。1か月前までの情報と記憶しかないわけですから、なんだか知らない街で迷子になってしまったような心細い気分です。そのようなことを感じていたあるとき、立て続けに3回も避難訓練に参加したことがあります。そして、この迷子のような心細い気分には重要な意味があることに気づきました。
避難訓練に参加して
あるとき、1学期に3回も避難訓練に参加しました。それぞれの学校に勤務した日に、たまたま避難訓練があったのです。私は段取りがよくわからないまま、とりあえず、その3校の避難訓練に参加しました。地震で火災が起きたという想定でした。子どもたちは速やかに決められた場所まで避難します。先生たちは子どもたちがスムースに避難できるように誘導しています。そのあとに段取りが分からない私はキョロキョロ、ウロウロしながら参加していました。
校長先生のお話のときに
そして、全員が避難を完了して、校長先生のお話になりました。私は校長先生から一番遠くに立っていることに気づきました。同時にこの場に参加している人たちが四つのグループに分かれていることに気づきました。第一グループは一番前に立っている校長先生や教頭先生。第二グループが子どもたち、その後ろに第三グループの担任や副担任の先生たち。そして第四グループが、特別な教育的ニーズのある子どもの支援員さんやスクールカウンセラーである私たちです。配置としては、第一グループの校長先生たちと第三グループの担任の先生たちが、第二グループの子どもたちをはさむようにしていて、その三つのグループの周りを支援員さんやスクールカウンセラーが囲んでいるという配置でした。3つの学校はいずれもこのような配置になっていました。子どもとの距離によって、自然とこのような配置になるのでしょう。
セーフティーネットとして
そのようなことを眺めていると、教室の友達となかなかなじめない子や多動気味の子どもが、校長先生のお話に耐えられなくなってソワソワし始めました。そして、みんなの輪から外れて、すこし担任の先生に声をかけたかと思うと、そこからも離れて、支援員さんのところに行って過ごしていました。子どもたちの輪の中にいられない子がスーッと支援員さんのところに行くわけです。そこにはまるでセーフティーネットが張られているようでした。このような居場所があることによって、この子はうまく抱えられているのでしょう。また、遅刻して登校してきた不登校気味の子どもも、子どもたちの輪に入るのではなく、支援員さんやスクールカウンセラーのところにやってきて、その場にとどまりました。そして、そこから避難訓練に参加していました。家庭と教室の間には、このような柔らかな構造があるのです。そのことを目に見える形で理解できました。
専門的不適応
このことはスクールカウンセラーの立ち位置を考えるうえでもとても大切だと思いました。つまり、スクールカウンセラーや支援員さんという人たちは、学校の中心的な活動や中心的な人々の中にうまく入っていけない立ち位置、つまり、少し不適応を感じるくらいの立ち位置がちょうどいいのかもしれません。その場の人と人との関係性がよくわからず、場の状況も、そこで何を求められているのかもよくわからない不安や不快感を抱えながらも、その場で自分の居場所を確保しておくことが大切なのかもしれないのです。このような不適応を感じる大人たちがいる場所は、同じように学校に不適応を感じている子どもたちを引き寄せるように思います。私がスクールカウンセラーとして、学校の中でオドオド、ビクビクしているのは、同じように感じている子どもたちを引き寄せるという重要な意味があるのかもしれません。自分が不適応だからこそ、相手の不適応もわかりますし、何か引き合うのかもしれないのです。そういう意味では、スクールカウンセラーの感じる心細さやビクビク、オドオドというのは、専門的不適応という言い方ができるようにも思います。このような専門的不適応の意味は、考えるに値する重要な概念になるように感じています。
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