幻想に気づく痛み

カウンセリング

カウンセリングって?

カウンセラーをしていると、優しい人、話をよく聞いてくれる人というイメージを持たれることがあります。ドラマや映画などで心理カウンセラーはそのように描かれていますから、当然、そう思われるのでしょう。

カウンセリングとは、自分の弱さやダメなところをカウンセラーから受け入れてもらえる”心の癒しの時間”と考えられているようです。しかし、厳しい現実を学ぶという側面もあります。

ある生徒の訴え

この生徒と初めて会ったのは、彼女が中2の6月ころだった。学校の部活動で意見が合わずイライラしてしまい、それが原因で友だちが離れてしまったということ。

教室でも部活動でも居場所を失い、次第に登校を渋り始めていた。家にも居場所がないと話していた。

カウンセリングには、月に2,3回来ていた。そして、カウンセリングを続けていくうちに、彼女は次第に落ち着き元気になってきた。しかし、登校はできなかった。

静かな不登校の時期

中3になったが、学校には月に2回ほどスクールカウンセラーに会うときだけ登校して、あとはずっと家で過ごしていた。登校するときは、忙しい母親が仕事を何とか調整して車で送り迎えをしてくれていた。

家での様子を聞くと暇で暇で仕方がなく、ゲームをしたりテレビを見たりして時間をつぶしていた。なんの葛藤もなく、やる気もなく、ただただぼんやりと過ごす「静かな不登校期」を過ごしていた。

豊かな不登校の時期

いつものように暇を持て余していたある時、ふと思い立って「そうだ!疲れているお母さんのために夕食を作ろう」と彼女は考えた。

他者のケアに目が向き、何か新しいことを開始したい。そんな気持ちになっていたようである。いわゆる「豊かな不登校期」に入っていたのだろう。

ちょうどお母さんが帰宅する時間を見計らって夕食を完成させようと、彼女は料理を始めた。

お母さん帰宅

そして、もう少しで料理が完成というときに、お母さんが帰宅。彼女は「お母さん、ちょっと待っててね!今、ご飯を作っているからね!」と伝えた。こうしてご飯を作ってもてなしたのだという。

ところが、この出来事からすでに数日経過しているからか、彼女はあまり表情を変えず、淡々と、むしろ、何かつまらない話でもするかのように話した。

喜ぶカウンセラーに反して

カウンセラーは、”お母さんはさぞかしうれしかっただろう”と思い喜んだ。そして、この話をもう少し膨らませたいと思い、「お母さんは喜んだでしょう?お母さんは何と言っていた?」と、この出来事の詳細を尋ねた。

すると彼女は「別に。お母さんはパズドラやっていました」と言う。どうやら娘から「待っててね」といわれた母は、すぐにスマホを取り出してパズドラに没頭し始めたのだという。

彼女の気持ちは通じなかったのだろうか。少なくとも彼女は、自分の気持ちが母親に伝わらなかった話としてこの出来事をとらえているようであった。

淡々と、つまらないことのように話していたのは、このような理由があったのだろう。

彼女の気づき

カウンセラーは、その場の状況や彼女の思いを推測し次のように尋ねた。「期待されながらとか、感謝されながらとか、そういう空気感の中で待っててもらいたかったんじゃない?」。

彼女は小首を傾けてじっと考えた。そして、「自分は関心を持たれてないのだと思って気持ちが沈んでいた」ということに気づいた。そして、それは今回に限ったことではなく、これまでも見守ってもらってない感覚、期待されていない感覚、肝心なところで見てもらっていない感覚にずっと傷ついていたんだということを発見したようである。

いくつものモヤモヤが一気につながって霧が晴れた様子であった。

さらなる気づき

彼女が言うには、母親は決して嫌な人でもダメな母親でもない。確かに、仕事をやりくりして送り迎えをしてくれるような気づかいや支援もしてくれている。

しかし、どこか肝心なところで、自分に期待してくれていないような、見守ってくれていないような、そんな感覚を彼女は母親に対して抱いていた。そんなことについても、彼女は気づいたようであった。

それは、”母親も一人の人間であって、自分の希望や期待をすべて叶えてくれるわけでもない一人の不完全さをもった人間である”という気づきであったようだった。

大いなる幻想

”お母さんなんだから、子どもの私を全面的に理解し、全面的に私を受け入れてくれるはず”という、大いなる幻想から覚めてしまった、そんな悲しみを伴う気づきであった。

「母親というもの」に対して抱いていた幻想から目覚めて、彼女は母親を一人の対等な人間として位置づけ始めたのだろう。「決して悪い母親なんかではない」と繰り返しつつ、「でも完全でもない」そして「それが普通のこと」という事実を受け入れていたようであった。

その後のこと

その後、彼女は少し大人になったようであった。他者に過剰な期待を持たず、自分のやれることはやるけど、やれないこともあるといった「当たり前」を生き、少し生きやすくなっているようであった。

表情は穏やかになり一山を越えたような雰囲気があった。すでに中3の1月になっていたので、「いまさら中学校に行くつもりもないけど、高校には休まず行きたい」と言って中学校を卒業していった。

そして、高校の3年間は休まず通い続けて、無事卒業した。

カウンセリングでの学び

カウンセリングは現実をしっかりと受け止めるという学びをすることが多いと思います。彼女が気づいたことは、つらいけれども認めなけらばならない現実です。これまでの想いや願いが幻想であったという脱幻想(deillusion)を経験することによって得た大きな気づきだったのだと思います。

カウンセリングという経験からの学びには、自分が抱いていた幻想に気づき、それを手放していく脱幻想というものもあります。

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