井戸端会議での不思議

生活と心

論文を読んでいて

12月から1月というのは、私にとっては論文の季節です。卒業論文や修士論文を読む機会がグッと増えます。こういう仕事をしていますから、子育て支援に関する論文なども読みます。

そういう論文を読んでいるときにふっと思い出したことがあります。

自分の子育て

大学院生時代に結婚し、子どもも生まれたこともあり、私が日中子どもを見て、妻は早く職場復帰をしました。なので、私は子どもといる時間がたくさんありました。

当時住んでいたところに友だちはおらず、しかも若い男性が平日、子どもと散歩をしたり、自転車でぶらぶらしていましたので、かなり異質な目で見られていたと思います。

都市部ならまだしも、田舎でしたからなおさらだったでしょう。

近所のお母さんたち

ただ、アパートが何棟か建っている一室を借りて生活していましたので、同じような年齢の子どもをもつお母さんたちがけっこういました。そのうち、子どもを介して、そういうお母さんたちと仲良くなっていきました。

「うちの子がなかなか寝ない」であるとか、「あの店は紙おむつが安い」とか、「虐待する親の気持ちがよく分かる」とか、いろいろな話をするようになりました。

貴重な井戸端会議

時に、話が弾んで、そして人数も増えていって、4,5人で1時間でも2時間でも話し続けることもありました。いわゆる井戸端会議というやつでしょう。

男性は私だけでしたが、性別は気になりませんでした。共通の話題が多かったですし、話が尽きなかったからです。

不思議なこと

今思うと不思議なことなのですが、その時、子どもはどうしていたのでしょうか。皆さん、1,2歳の小さな子どもがいるのです。だから、そんなにおしゃべりなんかしていられないでしょう。しかし、実際はそういう時間もありました。

うーん不思議です。

子どもはその辺で遊ばせていたのだと思います。抱っこされながらぼんやりと親の話を聞いている子もいました。そうしているうちに子供は寝てしまう。

「いま寝ちゃうと夜に眠らなくなる!」と思いましたが、「まあ、仕方がないか」と思ったりもしていましたね。子どもがぐずったときには、ちょっと輪から離れてあやしたりして、また輪に戻っていきました。

子育てにおける大人中心の時間

ふだんは子ども中心の生活が続いていましたけど、その時間だけは大人中心の時間になっていました。

親は自分の子どもだけでなく、他の子のことも同じように目の端に入れて見守っていました。そして、話にも花が咲いているという状態だったと思います。

親が自然と集っておしゃべりし、その周りで子どもたちが思い思いに過ごしている。ささやかですけど、とても豊かな時間だったのだと思います。

子育ての一つの理想の形だったのかもしれません。たまにですけど、そういう時間をもてたということは貴重な経験でした。

親も子も自然とリラックスできるような、あのような場を創発させることは、今では難しいことなのでしょうか。それとも、今でもそういう場はあるのでしょうか。

遠い昔の記憶です。

 

 

 

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