カウンセラーはゴミ箱?
クライエントさんは、いろいろなことをカウンセラーに語ります。本音トークをする場ですから、愚痴、悪口、噂話などもしばしば語られます。
クライエントさんの中には、ひとしきり話した後、「先生はいろいろな人の愚痴を聞いていて、大丈夫なのですか?」と心配してくれることがあります。「カウンセラーは私の心のゴミ箱」とおっしゃる人もいます。
たしかに、クライエントさんにとってカウンセラーは、心のゴミ箱的な用途があると思います。そこにポンポンと心のゴミを投げこむわけですが、それでは、カウンセラーはそのゴミをどう処理しているのでしょうか。
いろいろな処理の仕方があると思いますが、若いころの私は無我夢中で次のようにしていました。
記録をとって忘れる
カウンセラーになりたての時は、クライエントさんの話が心に残って、かなりしんどかった覚えがあります。気が重くなって食欲もなくなりました。時に、夢にまでクライエントさんが出てくるということもありました。
そのような気持ちを自宅に持ち帰らないために、カウンセリングが終わった後、しっかりと記録をとって忘れる努力をしました。
若かったですし、これで身を立てようと真剣でしたから、カウンセリングの中で起こったことをすべて書き残そうという気持ちもありました。1時間のケースにA4で10枚くらい記録をとった時もありました。
だんだんポイントだけになる
しかし、何年も仕事を続けていくうちに、その記録も大切なところだけに焦点を絞れるようになっていきました。「この語りは大切だな」というポイントが分かっていくわけです。
もちろん大切なことを記録できていないときもあります。そんなときは素直に謝って、「前にも話してくれたと思うんだけど、そこのところはどうだったっけ?」とクライエントさんに教えてもらいます。そうすると、クライエントさんは教えてくれますので。
カウンセラーは避雷針?
このように、ポイントを記録できるようになるにつれて、クライエントさんの愚痴が心に残らなくなっていったように思います。そんなとき、ある本で、カウンセラーは避雷針であると書かれていて「なるほど」と思いました。
カミナリが落ちるあの避雷針です。カウンセラー避雷針説です。
避雷針は受け流す
「愚痴は日常生活に落とさないで、ここに落ちてね」という心構えでクライエントさんの話を聞くわけです。避雷針は、落ちたカミナリの電流を地中に流す装置です。決して自分の中にためることはありません。ためるとそのエネルギーで焼き切れてしまいますので、上手に流すのですね。
つまり、カウンセラーは、クライエントさんの愚痴を上手に聞き流しているわけです。そして、クライエントさんもそれでよいと考える人が多いと思います。
愚痴は忘れてほしいもの
クライエントさんは、自分が語った愚痴をカウンセラーが熱心に記録して、それをいつまでも記憶にとどめているのは、あまり気持ちが良いものではないようです。
もちろん、肝心なことは心に留めておきますが、それ以外は、結構抜けています。私はそれでよいと思いますし、それでやむなしとも思っています。
カウンセラーは鏡
カウンセラーを鏡に譬えることもあります。クライエントが「もうつらくて仕方がない」と口にしたならば、「つらくて仕方がないんだね」と、鏡のようにその気持ちを映し返すわけです。
「学校なんて意味がない」に対しても「学校なんて意味がないと思っているの?」とその気持ちを映し返します。
もちろんオウム返しばかりではありません。「学校なんて意味がない!」に対して、「怒っているようだけど、悲しそうにも見えるよ」と相手の様子を映し返すこともあります。
鏡機能が洞察を促す
クライエントさんは、自分が語ったことをカウンセラーから映し返されることによって、初めて自分の語った内容をしっかりと吟味できるようになるものです。
クライエントさんが気づいていないことを、カウンセラーが映し返すことで、初めて自分の状態を理解するということもあります。
つまり、カウンセラーという鏡がクライエントさんを映し返し、クライエントさんはそれを見て、自分の本当の気持ちや心の裏に隠れた本当の願いのようなものをつかんでいくわけです。カウンセリングはそうやって、自分のことを深く学んでいこうとする試みともいえると思います。
まとめ
クライエントさんはカウンセラーというゴミ箱に愚痴を投げこんで、カウンセラーは避雷針のようにそれを上手に受け流しつつ、大切なポイントはとらえて、鏡のように映し返す。その写し出された姿がクライエントさんの洞察を引き起こしていく。そんな営みがカウンセリングだと言えそうです。
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