大学経営の厳しさ
大学入試のシーズンです。全入時代などといわれますが、志望校に入るのは、今でもなかなか難しいと思います。受験生も大変ですが、実は大学も経営がかなり大変な状況になっています。
なにせ、子どもの数は減っているのに、大学の数は増え続けてきたわけですから、経営が成り立たなくなるのは当たり前です。
以前、国立大学に勤めていました。国立は安泰と思われるかもしれませんが、予算の大半は国からの補助金に頼っていて、その補助金が毎年削られているのですから大変な状況です。
大学改革
そのため、国立大学は常に改革が求められています。もっと効率的に!無駄を省け!地域に貢献しろ!独自性を出せ!収益を上げよ!などと、国からいろいろなことを要求されます。
その要求に応じていることを示すのが大学改革。改革といってもやることはマンパワーを削り、現状の機能は維持しつつ、しかし新しいことを何かしなければならないわけです。
でも、組織の構成員が変わるわけではないので、そうそう新しいことができるはずもありません。しかし、改革している風を装う必要はあります。そこで行きつくところは、組織を再編して、そこに現代的な名称を付けることです。
困難な組織再編
組織を変えるといっても、大学は、各学部で教授会というものがあり、それぞれ独自の伝統と誇りをもって仕事をしてきました。学部の中にも学科というものがあって、互いの高い専門性を尊敬しあいながら仕事をしてきたものです。
しかし、それを解体して、あっちの組織とこっちの組織をくっつけて、新しい名称を付けるとなるとコトは簡単には進みません。場合によっては、どこをつぶすのかという話にもなっていきますから。
そんな利害関係が真っ向からぶつかって、連日の会議と文書作成。議論は感情的にもなります。これまでうまく組織運営ができていたのに、解体と再編が求められるわけですから、これは一体だれのための組織改革なのか、だれの利益になるのかと考えることも多いものです。そうして、みんなが疲弊し、組織は弱くなり、教職員の意欲は低下していきます。
大学改革の渦の中で
私が勤めていた大学でも、同じようなことが起こっていました。会議では怒号が飛び交い、なんとか結論をまとめても、別の部署から重箱の隅をつつくような異議が出たりして、その対応のために会議また会議。本当に大変な思いをしました。
救いはちょっとしたユーモアと仲間意識でした。しかし、その気力もなくなっていくと、ヒトは理性的な部分がどんどんと削られていくのですね。議論はますます感情論になり、声の大きい人の意見ばかりが通り、その衝動的で短絡的な進め方に誰も声をあげなくなっていきます。
互いに疑心暗鬼になり、被害妄想も高まっていきます。被害者意識が高まりますから、皆、自分は悪くない、悪いのは相手だという心理状態になっていきます。こうして、組織が分断され、仲間が分断され、ヒトの心の中も理性と感情とに分断されていきます。
私も少しおかしくなっていたと思います。普段は言わないような悪口を言ったり、相手に攻撃をけしかけたりして、人相も悪くなっていたと思います。
薄暗い官舎の扉に
そんな大学改革の渦の真っただ中にいた時、私は官舎に住んでいました。官舎ですから質素な住まいです。階段は狭く廊下の照明は薄暗くて、冬などは身体だけでなく心まで冷え冷えとしてきます。
ある夜、いつものイライラする会議と意味を感じられない文書作成を終えて、疲れ切って官舎に戻ったところ、ぎょっとしました。
扉を開けようと思ったら、気味の悪い蛾が扉にへばりついていたのです。私は蛾や昆虫は苦手です。ですから、本当にぞっとして、体温がスーッと下がっていくようでした。しかし、その蛾からなぜか目が離せないのです。
全体的に黒いのですが、黄緑の線とそれに沿って黄色の小さな斑点がいくつも付いていて、そこから何本も毛が生えているのです。こんな気味の悪い蛾は初めて見ました。
そのとき直観したこと
そのとき直観したのは「この蛾は自分の無意識が呼び込んだものだな」ということでした。自分の知恵の部分と言ってもいいかもしれません。そんな意識できない心の知恵が、気味の悪い蛾を呼び込むことによって、自分に冷や水を浴びせたのだなと。
無意識の知恵の部分が、蛾を呼び込んで、「頭を冷やせ」「これ以上、気味の悪い扉を開くな」というメッセージを伝えてきたのかもしれません。そんなことを直感しました。これまで見たことのないような気味の悪い蛾が、よりによって、一番人相が悪く、一番カッカしている時にやってきたのですから。
もともと「自分らしくない」、「これではイカン」と思っていたので、この時から、冷静になるようにしました。
その翌朝も
結局、こわごわと扉を開けて、無事、部屋の中に入ったのですが、その翌朝も蛾はへばりついていました。一歩も動かずにじっとしていました。二日目も三日目もいました。
そして、四日目の朝に蛾はいなくなっていました。そのころには、もうかなり冷静さを取り戻したので、蛾がいなくなったことに対して、「やっぱりな」、「そうだろうな」と思って納得しました。
無意識の知恵
「無意識は知恵の宝庫である」と考えるユング派では、このような偶然の中にこそ、無意識の力やその人の知恵が働いていると考えます。学派によっては「無意識や偶然というものは、非科学的なものであって考察に値しない」と考えるものもあります。そちらが主流かもしれません。そんな中で、ユング派は独自の魅力を発揮しています。
偶然の意味をどのように直観するか、そしてそれをどのようにより良き人生にいかしていくという発想は、カウンセリングを豊かにしてくれることが多いものです。クライエントさんとも偶然の出来事の中に意味を読み込んでいって、それがうまくはまると、心に大きな変化がもたらされることもあります。クライエントさんから、「”事実は小説より奇なり”ですね」という言葉を聞くことがありますが、そんなときは、この偶然の力の恩恵を受けている時であることが多いようです。
このような”偶然の力”には、自然な気持ちで心を開いておきたいものです。そして、偶然が与えてくれる様々なヒントを読み解いて、うまく活用できるようなカウンセラーになりたいものです。