教室観察
スクールカウンセラーとして働いていたり、研究者として授業観察をしていたりすることがあります。一番最初に教室に行った日は「この人誰だろう?」と不思議がられます。「時々教室を見に来る先生だよ」と説明するとみんな納得してくれます。
こういう訪問を繰り返していくと、次第に子どもたちと打ち解けていきます。
私が教室に入っていくと、「よ!」と手を挙げてくれる子ども。手を振ってくれる子ども。にこっと笑顔を向けてくれる子ども。いろいろな仕方で歓迎してくれます。
そうやって関係ができてきたある日。「どきっ」とする体験をしました。
ある男子
小学校1年生の男の子が私の方をチラチラ見たり、ジーッと見たりしています。何かもの言いたげな表情です。授業中だったので、私は彼と目が合うたびに微笑んで、それ以上のコミュニケーションはしませんでした。
さて、休み時間になってその子どもがトコトコと近づいてきました。そしてこういいました。
「キリン先生って、本当は僕のパパなの?」
私は目が点になっていたと思います。一瞬何を言われているのかが分かりませんでした。
彼は、自分が生まれてすぐに両親が離婚していました。お父さんとは一度も会ったことがないそうです。今はママとおじいちゃんおばあちゃん、そして妹と楽しく安定した生活をしています。
そんな中にあっても、どこかでお父さんを求めていたのでしょうか。「いつかお父さんが迎えに来てくれるはずだ」、「きっといつか会えるに違いない」、という切なる願いがあったのだと思います。
ちょうど、うちの子どもたちも小学校の低学年の頃でしたから、私はこの子の父親と同じくらいの年齢だったのだと思います。
その後
「先生は、〇〇君のお父さんじゃないけど、〇〇君のことを見ているからね」と伝えました。彼はふっと肩の力が抜けて「わかった」と言っていました。
がっかりしたというよりも、むしろ、「キリン先生はパパではない」という真実を知れて良かった、といった雰囲気でした。緊張が解放されたように見えました。
いつからか、「もしかすると、キリン先生は僕のパパなのかな?」という想像と期待が膨らんでいたのでしょう。
実はこういう経験は、あと一回、他の子どもからも言われたことがあります。自分の人生における大きな欠落の中に、希望や期待あるいは何かを待ち望む心理が宿ることがあるのですね。
もちろん、その欠落の中には、悲しみやさみしさのようなものもあるでしょう。
おそらく日常が楽しく安定していれば、期待や希望の方が膨らんでいくのだと思います。彼の幸せを願わずにはおれませんでした。
ある女の子
ちょうど同じころ、別の経験もしました。近所の家の女の子が小1のときでした。うちの子と同級生でしたので、よく一緒に遊んであげていました。
その時やはり、「おじちゃんは、私の本当のお父さんなの?」と言われたのです。
その子にはお父さんはいます。お母さんもいます。なのにこういうことを言ったのです。不思議でした。この子にはお姉ちゃんとお兄ちゃんもいて、5人家族でした。
そして、この家族は5人でショッピングに出かけたり、外食をしていたりしていましたから、普通に仲の良い家族です。その当時は「あの発言は何だったのだろう?」と不思議に思いました。
ところがその2年後くらいに、この両親は離婚して、お父さんは家を出ていきました。びっくりしました。一番下のこの子はこうなる2年も前から、おそらく何かを察知していたのでしょう。
外には普通の家族を装いながらも、家の中では寒々しい空気が覆っていたのでしょうか。想像にすぎませんが、この子は何かを察知していたのでしょう。
「自分のお父さんは本当のお父さんではなくて、本当のお父さんはこのおじちゃんだ」、そうあってほしい、という願望が生まれたのでしょうか。そう考えると心が締めつけられるようです。
子どもの世界
子どもは、大人が想像しないようなことを想像しているようです。また、絶対に気づかないだろうという大人の世界を実は察知しているのかもしれません。
ただ、それをどのように表現してよいのかが分からないので、口にできないだけなのないかもしれません。そして、その口にできないものが子どもを苦しめることもあります。
今回はそんな子供の世界をほんのちょっとのぞいたようなエピソードでした。
子どもの世界を理解するツール
心理療法では、そのあたりを大人が理解する手立てとして、子どもが表現する絵や工作、ごっこ遊びに注目します。
あるいは夜に見た怖い夢、ふっとした拍子にでる言葉、そして症状に着目します。何らかの心の苦しみや負荷が、そのようなツールや症状を通して、象徴的に表現されていることがよくあるからです。
そのようなものを通して、子どもは心の負担を表現したり、それをセラピストに理解されます。そういう経験を繰り返していくと、次第に子どもの心はまた健康な部分を取り戻していきます。

