人の名前が出てこない
先日も書いた老化現象の一つでしょうが、最近、人の名前やモノの名前がすぐには出てきません。ですから脳を鍛えるつもりで、10年以上前に教えた学生たちの名前を思い出すということをやってみました。
学生の顔を忘れるということはめったいにないのですが、名前は結構忘れています。顔を記憶するメカニズムと名前を記憶するメカニズムは違うのでしょう。
手がかりを探す
顔は思い出せるけど名前が思い出せない人をとにかく思い出そうとすると、手掛かりが必要です。例えば、講義室でのその学生の様子、その学生の学年のメンバー、興味を持っていたこと、研究テーマ、出身地、部活動など、とにかくいろいろな側面から思い出そうとします。しかしなかなか思い出せません。
「そういえば、あの学年にはこういう学生もいたな」とちがう学生のことを思い出すこともあります。するとその瞬間、これまでずっと思い出せなかった学生の名前を急に思い出しました。なるほど、やはり知識というのはつながっているんですね。
50音順で
今度は、ちがう学生を思い出すことにしました。この学生は何となく50音順の後ろの方だったことを思い出してきました。「ま」行だったか「や」行だったか。全く思い出せないのですけど、何となくそのような気がしてきます。仮に「あ」行だったか?それとも「か」行だったか?などと考えるのですが、「それは違うな」という感覚もあります。
感覚だけです。そうして「ま」、「み」、「む」、「め」、「も」といろいろな名前を適当に挙げてみます。「む、め、も」ではないな、という気がしてきます。正解は分からないのに、それはちがうということは分かるのです。「そういう気がする」という程度ですけど。
正解に近づいている感覚
こうして、次第に正確に近づいている感覚が高まっていきました。不思議です。何が正解なのかを分かっていないのに、正解に近づいていることだけは確かな感じがするのです。きっと間違っていないと。とすると「ま」か「み」です。そして、きっとそうだと考え続けます。
するととつぜんその子の名前がパッと漢字で出てきました。「み」で始まる名前でした。正解です。やったー!
でも思い出したのは違うターゲット
ただ、実は名字の方を思い出そうと頑張っていたのですが、その学生の場合は、下の名前の方が思い出されました。名字を思い出せればスッキリだったのですが。
名字を思い出そうと思っても思い出せず、しかしなぜか正解に近づいている感覚だけはあって、結果的に思い出したのは名前の方。
下の名前を思い出せたらすぐに名字の方も思い出しました。名字は「さ」行でした。
われわれの脳はいろいろな部位が役割分担をしていて、それらがうまく協調して現実を作り出していると言われています。ただ、その協調は結構いい加減なものであるとも言われていますが、確かにそうだなと思いました。なかなか面白い体験でした。
注目の領域
「意識下の領域」を無意識と呼んでいましたが、「脳の働き」という観点からその意識下の働きが解き明かされてきているようです。私はよくわかっていませんが、なかなか面白そうな領域です。