案内役が不在の話

スクールカウンセリング

学校から呼ばれて

「児童のことで相談したいことがあるのですが」という連絡がありました。行ったこともない小学校からの連絡でしたが、せっかくの依頼だからと思って出かけてみました。

私は車で移動するのでその日も車で行きました。駐車場には案内役の女性の先生が待ってくれていました。

ちょっと挨拶をしたのですが、彼女は無表情で反応がとても薄いのが気になりました。私は車のトランクから上履きを取り出したりして、モタモタしてしまったのですが、その案内役の先生は私を待つことなく、スタスタと校舎の中に入ってしまいました。

私はあわてて彼女の後を追いました。

複雑なつくりの校舎

校舎はやや複雑なつくりでした。中階段のような階段があったりして曲がり角も多く、どこを歩いているのか分からなくなる不思議な校舎でした。あとから教頭先生に聞いた話ですが、やはり初めての人はよく迷うそうです。

そういう複雑な校舎だからこそ、わざわざ案内役の先生が駐車場まで出迎えてくれたのだと思います。しかし彼女はこちらを振り返ることもなくスタスタと前を歩いています。

曲がり角が多いので、彼女の後ろ姿が見えたと思ったらまたすぐに角を曲がってしまうので、私はあわてて彼女の背中を探します。全く見えなくなるわけではないんですね。絶妙なタイミングで見え隠れします。

彼女の背中だけを追っていましたから、いつの間にかどこを歩いているのかが分からなくなっていきました。不思議な体験でした。

15分も待たされる

そしてやっと通された広い会議室には誰もいませんでした。私はそこで待つように言われたのですが、15分たっても何の音沙汰もありません。お茶も出てきません。

別にお茶が欲しいわけではありませんが、ちょっと扱いが変だなと思っていました。依頼されたのでわざわざ時間をとって来たわけですから。

「歓迎されていないのだろうか?」と不安になり、「早いこと帰りたいな」と思い始めていた時に、やっと別の部屋に通されそこで子どもに対するケースカンファが開催されました。

ケースカンファの内容

ケースカンファの内容を詳しく書くことはできないのですが、ある児童に対してどのように対応してよいのかが誰もわからず困っているようでした。

校長、教頭、生徒指導主事、養護教諭、特別支援教育コーディネーター、学年主任といった人も参加しているのですが、だれもこの場を取り仕切れません。時々、校長が口をはさんで会を進めようとしますが、なかなか議論は深まりませんでした。

結局、子どもに関する情報収集がしっかりなされておらず、だれも子どもやその家族のことをよく知っていないようでした。そういう基本的な情報もないのなら、私が行っても仕方がありません。

よくわからないまま時間が終わって、私はひどい徒労感に襲われて学校を後にしました。

ふっと気づいたこと

帰りの車の中でふっと気づいたことがありました。それは、あの私を案内してくれた案内役の先生のことです。

あの先生は、もしかすると、自分が案内役として機能しないことによって、「この学校は、だれも案内役として機能しておらず、皆、この学校から早く離れたいと思っているんです」ということを、私に無意識に伝えていたのかもしれないと。

確かに彼女は案内役としての機能を果たしておらず、また私を控室に放置することによって、私を早くこの学校から離れたいと思わせました。

投影同一化

彼女は自分の振る舞いを通して、自分では口にできない強烈なネガティブな感情を、無意識のうちに私に放り投げて、私はそれに同一化していたのかもしれません。

こういう心のやり取りは、専門家の間では比較的よく知られています。「投影同一化」などといった専門用語も作られているほどです。

相手が自分の心の負の感情を私に投影し、私はそれに同一化してしまうのです。ですから、私の中に強烈に感じられた案内役への不快な感覚や放置された嫌悪感は、もしかするとあの案内役の先生が管理職などに感じている強烈な感情と同じようなものだったのかもしれません。

彼女自身も案内役がいない学校、そしてその学校に対する嫌悪感を感じていたのだと思います。

それを私の心に投げ込んで、私はそれを感じていた。つまり、私のこのネガティブな感情は彼女の心の一部だったのかもしれません。

そう考えると、私のこの不快な気持ちをしっかり理解し言語化することは、彼女の心を理解することにつながりそうです。

ある研修会で

さて、それから2、3か月くらいがたったでしょうか。先生と対象とした講習会で講師をしていた時のことです。

その講義が終わって帰ろうと思ったとき、講義を受けていたある女性教師が私のところにやってきて、「この前は本校に来ていただきましてありがとうございました」とあいさつをしてくれました。

私はその人が誰だか思い浮かばなかったのですが、相手は「〇〇小学校××です」と自己紹介をしてくれたのでやっとわかりました。例の案内役の先生だったのです。

学校にいる時とは全く違った表情で、生き生きとしていて覇気がありました。あの学校で見た様子とは全く違います。

驚きました。この先生も組織が機能していないネガティブな側面を学校では一身に受けて生きていたのだろうと思います。やはりあの時はそれを無意識に私に伝えてくれていたのだろうと思いました。

自分の心を道具として利用する

相手の心を理解する手立てとして自分の心を使うこと。カウンセリング学習ではそういうことも勉強することになります。

こういうことに気づくことはなかなか難しいものです。しかし、こういう理解の仕方も使いながらわれわれは相手の気持ちを理解しようとしています。このような手段を自在に使えるようになりたいなと思いますが、まだまだその域には達しません。

 

 

 

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