きざし
きざし(兆し)というと、辞書的には「草木の芽が今にも出そうになること、芽ばえ、芽だし」とあります。春のきざしを感じるのは、はやり草花の芽生えやその急激な生長だったりします。
そのことが転じて「物事が起ころうとするしるし、兆候、前兆」という意味にもなります。
カウンセリングをしていて、何か新しい変化が起きそうなときというのは、その”きざし”を感じることがよくあります。
「このクライエントさんは一山越えたな」、「物事がうまくいき始めたな」、「光が見えてきたな」という雰囲気が、その表情や振る舞いから漂ってくるのです。
萌し
しかし、このような目に見える”きざし”のことは、「萌し(きざし)」という字を当てて考えると、易経で言う「兆し」のことが良く分かるということが本に書いてありました。
竹村亞希子著(2021)『超訳 易経 陰—坤為地ほかー』新泉社という本です。
「萌し」は、雪の間から草が芽を出していたり、陽が伸びていることにふと気づいたりして、そこに”春の萌し”を感じるようなときに使います。空の色や雲の動きから嵐が来る萌しを捉えるのもそうです。
まだ嵐にはなっていませんが、もう間もなく嵐が来る萌し(きざし)があるのです。目に見えることからその萌しや兆候を捉えるときには「萌し」と表記すれば、易経で言う「兆し」の意味が際立つようです。
兆し
「兆し」の方は、「ほら、あれが兆しですよ」と教えられるものではなく、まだ現象としては目に見えないけれども、物事の行く末を暗示するようなものだそうです。易経には次のような有名な言葉があります。
易は窮(きわ)まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれば久し。
「易」という言葉は「変化」を意味します。易(=変化)は窮極(きゅうきょく)、つまりピークに達するとそこから生じるのです。そして、その窮まった時に「兆し」が生じていると易経では教えています。
暦から知る
窮極ということを暦を使って考えてみましょう。究極とは例えば冬至です。12月22日前後になるでしょうか。
夜が最も長く昼間が最も短い時です。窮まっています。まさにピーク。変化が生じる時です。
しかし、その時期に春の「萌し」などまだ見えないでしょう。むしろ、これから1月、2月と真冬の寒さがやってくるわけですから。
しかし、その時にすでに「春に向けた変化」へと切り替わっているのです。実感はできません。しかし、「春の兆し」はすでに起こっているのです。
「萌し」と「兆し」の時間差
「易=変化」は、まだ実感もなく目にも見えないときから始まっていて、それを暗示するのが「兆し」です。そして、易経はその「兆し」を察知するためにはどうするかということが書かれている経典のようです。
だから、易経はリーダーや経営者に好まれているそうです。「萌し」は目に見えますから、いわば誰にでも分かります。経営者やリーダーは、その前のまだ目には見えず実感もできないときに起きている「兆し」を察知しようとしているのでしょう。
兆しは何度でも
「兆しは発生してから、一度きりではなく、何度も何度も、いろいろな機会を通してさまざまな形で私たちに信号を送って報(しら)せてきます」(p.42)
ピークを見極め、その兆候の報せ(サイン)に早く気づくために、われわれは「時の変化」とともに生きることを忘れてはならない、と易経は説いています。
注意しなければならないのは、ピークに達して変化に転じた「兆し」の後でも、まだ変化の「萌し」は見えていないということです。先ほども述べましたが、そこには時間差があるということも理解しておく必要がありそうです。
「兆し」があって、しばらくしてから「萌し」になるわけです。
兆しと萌しの中間あたり
変化の「兆し」を捉えるのは難しいと思います。しかし、クライエントはまだ気づいていないけれども、セラピストの方が先に気づく変化の兆候というものはあるものです。
それはクライエントがまだ気づいていないことですから、クライエントにとっては「兆し」となるでしょう。セラピストにとっては「萌し」なんですけど。
セラピストが察知するクライエントの変化、つまり「萌し」(=クライエントにとっては「兆し」)がなんとなく見えてくると、サイコセラピーは一山越えたのだろうと感じられます。
そのような「萌し」をどのようにしたら素早く察知できて、上手に活用できるのでしょうか。サイコセラピーの世界はまだまだ分からないことだらけです。
