治療構造
料金や場所、会い方
治療構造というものがあります。週に1回、この曜日のこの時間にこの場所で1時間お会いしましょうという設定であったり、料金は〇〇円にしましょう、キャンセル料金は〇〇円にしましょうという決まりだったり、秘密は自傷他害の危険がない限り必ず守りますという約束だったりします。
この時間や料金は変化させません。遅刻してきても終わりの時間は同じですし、料金も同じです。そこはシビアでドライです。そういう約束にしておきます。
そういうしっかりとした枠組みを作るのですね。その枠組みに守られてカウンセラーもクライエントも安心して”心”に向き合えます。
特に力動的心理療法などと言われる学派では、この治療構造を大切にします。
治療室の環境もあまり変えない
相談室の中はあまり変化させず、できるだけ一定に保つのが普通だと思います。季節の花を添えたり、きれいな写真や絵のカレンダーなどを壁にかけるといったことはあまりしないと思います。
1,2か月に一度、そのような変化を持ち込むことが、新鮮な気持ちを喚起して、クライエントに良い影響があるように思われれるかもしれません。
でも、あまりそのようなことはしません。カレンダーは置きますが数字だけの簡単なものが多いと思います。環境を一定に保っておきたいからです。
前にも書きましたが、私の同僚の先生は服装も毎日同じでした(同じ服をたくさん持っていました)。
そのように環境を一定に保つことによって、クライエントの変化を感じ取ることに集中するのです。
環境が変わると心の動きも変わりますから、その影響を排除して、純粋に”心の動き”に向き合おうとするわけです。
関係性を煮詰める装置
いわゆる治療構造というのは、セラピストとクライエントとの関係性を煮詰めてピークにまでもっていく装置(工夫)です。その関係性を煮詰めることによって、クライエントが本当に苦しんでいる原因が顔を出すのです。
たとえば母親との関係で、「自分は愛されていなかったのではないか」と感じてきたクライエントがいるとしましょう。いろいろ話をしていく中でクライエントはそのことに気づいていきました。
そして、そのことをセラピストに何度も話し、セラピストはとてもよく話を聴いてくれていました。その関係性に支えられて、クライエントは元気を回復していきます。
しかし次第に、このクライエントは「自分はセラピストから本当のところでは関心をもたれていないのではないか」、「どうせ私はセラピストにとってクライエントの一人にすぎないんだ」、「私が部屋を出たらすぐにセラピストは私のことなど忘れてしまうだろう」といったことを思い悩み苦しみ始めます。
傷つきの再体験
セラピストとの関係性が煮詰まっていくことによって、これまでいろいろなことに覆い隠されていた苦しみの本質的なところ(=母親との関係性、自分は愛されていないという感覚)が顔を出し始めるのです。
クライエントは母親との関係で培ってきた苦しみを今度はセラピストとの関係の中で再体験し生き始めるわけです。そしてこれを安全に進める装置が治療構造なのです。
治療構造の二つの側面
そのような自分の弱さや傷つきが誰かに漏れてしまうならば、そのような話はできません。そういう生身の素肌の自分をさらすような体験をするためには、強固な守りが必要です。それが治療構造です。
一方、セラピストは切ろうと思えばいつでも切れるお金の関係です。そしてクライエントの日常生活には関係をもたない人だからこそ、思い切って話ができるという側面もあります。
生の体験を語れる関係性を保ちつつ、同時に、割り切ってドライな関係性を保つためにも、治療構造が必要といえます。一見矛盾するようですが、このような二側面が治療構造にはあります。
治療機序
セラピストにとってこのような展開はある程度予想できています。というよりも、関係が煮詰まって問題の本質があぶりだされていくこの作業こそが力動的な心理治療の治療機序です。
関係性がこのようにピークに近づいていくことは、力動的心理療法がうまく展開している結果だといえるでしょう。
ワークスルー
これまでクライエントはこのような中核的な苦しみ(=自分は愛されていないという怯え)の中で傷つき自らを弱体化させてきたわけですが、専門家であるセラピストとの関係の中でこれを再体験しつつ、そこでセラピストの助けも得ながら、最後は「自分は基本的には愛されているが、いつも常にそうであるわけではないこと」を受け入れていきます。
セラピストとともにこの苦しさをやり切って、新しい真実(この場合、基本的には愛されているがいつもそうであると限らない)を受け入れていく作業をワークスルーと言ったりします。
AIにはできない心理療法
ここに至るまでにはかなり時間がかかると思います。しかし、これをやり切ると、なんだか将来に希望が生まれたり、こんな自分でもやっていけそうだといった地に足がついた感覚を得られたりします。
苦しみそのものがなくなるわけでも、解決するわけでもないのですけど、それはそれとして心の中に抱えつつ、自分を大切にして生きていけるようになるのです。そのようなしなやかな心になっていきます。
苦しみと共存できるようになるという人もいますし、苦しみを脇においておけるという人もいます。感覚は人それぞれです。
おそらくこういう心理療法はAIではできないことでしょう。
