心理学的に問う

学ぶということ

心理学への期待

心理学は未だに人気のある学問です。特に人間関係にまつわる出来事や自分の人生や生き方についてのことであれば、心理学にその解を求めるということは自然なことかもしれません。

しかし、実際のところ、いざ心理学の本を紐解いてみても、そこにピタッとする解がないこともよくあることです。

そして、心理学への興味は一気に廃れてしまうこともよくあるように思います。

心理学的な問い

このようになる理由は、心理学の答え方が悪いという面もあるかもしれませんが、それだけではないと思います。

心理学に答えを求めようとするならば、問いを心理学的なものにしなければならないからです。心理学が答えられるような問いかけをしなければならないのです。

問いが心理学的でないならば、いくら心理学の中に答えを探しても、答えはなかなか見つからないでしょう。

今の時期は、卒業論文や修士論文の指導が始まりますから、このことがクリアできないと、なかなか研究は進みません。

分かりやすく言うと

以下の簡単な例は本で読んだ話です。たしか河合隼雄著の『ユング心理学入門』だったと思います。

ある人がいました。この人は間もなく結婚する予定です。幸せいっぱいの状況でした。しかし、ある日、フィアンセが交通事故に遭って亡くなってしまいました。

この人は悲しみに打ちひしがれ、「なぜこんなことになってしまったのだ」と何度も何度も問いました。

科学的に説明すると

この「なぜこんなことに」の「なぜ」に対して科学は(心理学も)答えられません。問いが科学的ではないからです。仮に科学が答えを出すならば以下のようになるでしょう。

あなたのフィアンセは、濡れた斜面を時速100キロのスピードで走行中、緩やかなカーブを曲がり切れず、車がスリップしてそのまま45度の角度で壁に激突し・・・。

これはこの人の「なぜこんなことに」の一つの科学的な答えでしょう。本当にそうであるかの仮説を立てて検証することもできると思います。結果を予測することもできるでしょう。

しかし、そんな説明をしても納得する人などいません。

「いかに」に変換

「なぜこんなことになったのか」「なぜあの人はああなのか」。こういう問いは心理学では答えにくいものになります。

これを科学(心理学)にするならば、「なぜ」という問いを「いかにして」「いかにすれば」に変換します。

「なぜこんなことになったのか」を「いかにしてこんなことになったのか」、「なぜあの人はああなのか」を「いかにすればあの人と私との違いを理解できるのか」と問うていきます。

こうやって、私の具体的な問いを離れて、「どのようなメカニズムによって」と問うことで、一般的な人間の行動を追究し理解しようとする学問が心理学です。

ですから、私の具体的で切実な問いからどんどん離れていってしまうのです。離れていくというよりも、むしろ離していって、一般化・客観化するともいえます。

部品と働き

心のメカニズムを研究するのが心理学です。心のどのような部品がどのように動くのか、心理学的言うと、心の要因(要素)がどのように機能するのかの二つからアプローチします。

部品としては、記憶、動機づけ(やる気)、発達、認知などいろいろあります。それがどのように働くのかということを研究します。

どのような部品がどのように働くのかを研究するためには方法が必要です。ですから心理学は方法論を大切にします。心が見えないものであるからこそ、部品をしっかりと定義して、だれもが使える方法を使って研究していきます。

このようにして、自分の問いを追究していくのが心理学という学問になります。自らの問いを心理学的問いに変換できたならば、研究は楽しく没入できるものになるようです。

 

 

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