缶蹴りは昔遊び?
子どもは遊びを通して学ぶといわれています。一緒に遊ぶことによって、他者の気持ちを考えたり、自分がどうしたいのかを主張したりする場面が自然に発生して、他者に配慮したり人間関係が上手になったりしていました。
しかし、家庭における子どもの数が減り、遊び場も減っています。ですから、子どもが集まって遊ぶということができなくなっています。子どもが遊んでいる姿を見られるのは、休み時間の校庭くらいでしょうか。
20代の教師に缶蹴りをしたことがあるかと尋ねたところ、「昔、学校の授業で習いました」という答えが返ってきて驚いたのは、すでに10年以上前の話です。”昔遊び””という授業で習ったそうです。
缶蹴りでの学び
かくれんぼや缶蹴りは学びの宝庫でした。オニから逃げる側は、オニが探そうとする場所を想像して、その裏をかくような場所を選びながら隠れるものです。
反対に自分がオニになったならば、自分が隠れるとしたらどこに隠れるかを想像して、そこを探すことになるでしょう。
オニである自分が高学年であって、隠れているのが幼児や低学年であったならば、その子たちがだいたいどのあたりに隠れているのかは想像がつきます。
でも、あえてそこは探さないことによって、その子たちが楽しめるように工夫する余裕もあったりしました。
他者視点の取得
他者視点の取得という心理学の用語があります。これは、他者の立場に立ってものごとを考えたり、他者の気持ちを想像できたりすることです。だいたい小学校の低学年から中学年にかけて急速に発達するスキルだと考えられています。
相手の立場に立って、どこに隠れているのかと考えるオニは、それだけで、他者取得のスキルを獲得して、それを磨きながら遊んでいたということになります。これは隠れる側も同じです。
ですから、この時期に友だちと一緒になって、缶蹴りやかくれんぼをするということは、人間関係のスキルを学ぶ絶好の機会になっていたのです。
今は、そのような遊びがなくなりましたから、学校の先生たちが「そんなことをしたら、〇〇ちゃんはどう感じると思う?」などと声をかけて、子どもたちに他者視点の取得を促しています。
昔は、そんなことをしなくても、遊びを通して獲得していたスキルでした。
リーダーシップ
たくさんの学年の子どもたちが、徒党を組んで遊ぶということは、年長者たちがリーダーシップを発揮しないと遊びが成り立たないこともありました。
ですから、幼い子がいるときにはその子だけの特別ルールを設定してあげたり、いつまでもオニが固定されているとわざとつかまったりしてあげて、全体が盛り上がり、全員が楽しめるように工夫を凝らして遊んでいました。そして、それを上手にできる子がリーダーと目されていたのです。
よきモデルへの注目
ですから、幼児や低学年の子どもたちは、リーダーの振る舞いや言動に注意を向けていました。注意力も鍛えられていたのではないかと思います。
遊びが育んでいたソーシャルスキル
そして、やがて自分が高学年になったとき、どのようにふるまうのが高学年らしい振る舞いであるかということを、自然と身につけていたのだと思います。
こうして、社会的なスキルは、自然と遊びを通して獲得されていましたし、伝達もされていました。遊びを通してトレーニングされていたのですね。
缶蹴りがこんな力を育んでいたなんて。なくなってから気づくことが多いです。といっても、これは、私が年を取ったからそう思うだけかもしれません。
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