困る依頼
「ここ最近、子どもに元気がなく不安げな時もある。その理由は分からないのですが、一度会って話を聴いてあげてください」
こういう依頼を受けることがあります。ニーズや期待がわからないままカウンセリングが始まるのです。スクールカウンセリングの現場ではよくあることです。
学校が保護者から「子どもにカウンセリングを受けさせたい」という連絡を受けて、それをそのままカウンセラーに投げるパターンです。
先生たちは「カウンセリングを受けたい理由は何だろう?」と思うことがあっても、そのことを詮索しないことが多いようです。なぜならば、先生に相談があるのなら、先生に相談するはずだからです。
先生に相談しない以上、学校には知られたくない事情があるのかもしれないと判断して、あえて触れないのです。
ただ、こうして話を振られたカウンセラーにとっては一番困るパターンの依頼になります。
原因は分からない
「どうして保護者がこの子に相談を受けさせたいと思ったか、先生は何か思い当たるふしはありますか?」などと聞いてみても、「特にないと思いますけど。学校では普通にしていますよ」、「特に仲間関係が変わったこともないですけど」などと教えてくれますが、決定打になりそうな情報は出てこないことが多いものです。
そういう依頼の中で、一つのケースのことを思い出しました。ケースのことをそのまま書くわけにはいかないので、創作した事例を挙げてみたいと思います
会ってみても
よく事態を飲み込めないまま、小2の子どもと会うことになりました。この子に来談の理由を尋ねてみても、本人も分からない様子でした。
「今日はカウンセラーの先生と話をしてね」と親から言われ、朝、先生からも「3時間目にカウンセラーのところに行くんだよ」と言われたとのこと。
「何か話したいこととか、気になっていることでもある?」と尋ねても「うーん、別にない」とのことです。これには私も「うーん、どうしよう」です。
「お母さんはどうしてあなたにカウンセラーのところに行きなさいって言ったんだろうね?」と尋ねても「知らない、分からない」という返事。
この子はわりと元気で、こちらの質問にしっかりと答えてくれました。絵を描くのが好きということですので、絵を描いたりしながら最近の家での様子や友だちのこと、好きなことなどを聞いてその時間は終わってしまいました。
何もできないままでした。「保護者にはどんなニーズがあったのだろうか」と不安になってしまいます。
保護者との面接
その数週間後、その子のお母さんが相談にやってきました。子どもは相変わらず元気がなく、不安のせいなのかお母さんに付きまとったり、一人になるのを怖がることがよくあるそうです。
お母さんがそのことに気づいたのはおよそ1か月半くらい前から。今はその頃よりは良くなっているけど、浮かない表情であるのは変わらないそうです。
何かが以前とは違うとお母さんは感じているようでした。それで相談してみようと思って来談したそうです。
子どもは食欲や睡眠、習い事などは普通に行っているということで、学校に行くのも嫌がってはいないそうです。家族の中で大きな変化とか夫婦仲が急激に悪くなったとか、そういう環境の変化もないそうです。
変化といえば
そんな話をしていると、お母さんは「変化があったといえば、半年前に父が亡くなったことくらいですかね」とポツリと言いました。
このおじいちゃんと子どもの関係はとても良く、この子はおじいちゃんにかなりなついていたそうです。
そういえば悲しんでいたかな
そんな話をしていると、「そういえば、父が亡くなった後、あの子はそれほど悲しんでいないように見えたのがチラッと気になったことを今思い出しました」とお母さんはおっしゃいました。
あんなに仲が良かったのに、子どもはおじいちゃんがなくなってもそれほど影響を受けていない様子だったそうです。そのことに「あれ?」とは思ったそうですが、それ以上は気に留めなかったようです。
おじいちゃんに会えないということ
不安げな表情でお母さんに付きまとったり、一人になるのを怖がったりすることがあったりしたのは、もしかすると「死」というものを理解し始めているからなかもしれない、という話に展開していきました。
お葬式の時に「もうおじいちゃんには会えないんだよ」、「もうおじいちゃんと一緒に遊べないんだよ」ということは子どもに話したそうで、子どもも「わかった」というようにうなずいていたそうです。
だから理解したのだとお母さんは考えたとのこと。
理解には時間が必要
ただし、子どもが本当の意味でそのことを理解したとは限りません。特に「死」というものを理解し受け入れるためには、大人にもかなりの時間が必要です。子どもであればなおさらでしょう。
「おじいちゃんと遊ぼう」と思っても遊べない。「おじいちゃんとおしゃべりをしよう」と思ってもおしゃべりができない。そういう実体験を何度も何度も繰り返し重ねて、やっとお葬式の時に言われた「もうおじいちゃんには会えない」ということを理解していけるのだと思います。
半年以上前のことなのに
半年以上前のことですから、その間、大人は徐々に自分の生活を取り戻していったと思われます。そしてすっかり元の生活に戻っていたかもしれません。ですから、半年以上前のおじいちゃんの喪失が、今に影響するということは少し想像できなかったのでしょう。
しかし、こういう話をしているうちに、お母さんは「わが子が死というものをやっと受け止め始めているのだ、それを悲しみ嘆いているのだ」ということが分かっていったようでした。
本当にそうなのかは分かりません。ただ、カウンセラーと話しているうちに、お母さんはそのような理解が今の子どもの状態にピタッと当てはまる気がするということでした。
それから2か月後
お母さんとの面接はその1回で終わりました。「あとはこちらで対応してみて、また心配だったら相談に来ます」ということでした。
「その後、どうなったのかな」と思っていましたが、子どもは普通に生活しているようでしたので様子を見守っていました。
この面接を終えた2か月後くらいに、子どもの送り迎えに来ているお母さんと会えましたので立ち話をしました。
もう一度嘆きのプロセスを
面接の後、お母さんは子どもとおじいちゃんの話をしたり、お墓参りに出かけたり、一緒にお線香をあげたりということを意識的に丁寧に行ったそうです。
そうすると、子どもは涙を流したり、おじいちゃんとこういう遊びをしたという思い出を話したり、お母さんが死んでしまったらと考えると不安であることを語ったりしたそうです。
それに対して、「お母さんはまだまだ死なないから大丈夫」、「おじいちゃんはみんなの心の中で生きている」、「またお墓参りに行こうね」などと、丁寧に伝え続けたそうです。
そうして今では子どもの不安げな表情は和らいできているということでした。「もう大丈夫だと思います。また何かあったら相談に行きますね」ということでした。
「ない」を理解すること
死を理解するということはとても難しいことです。目に見えてそこに「ある」ものは理解しやすいですが、「ない」ものは理解しにくいものです。
「ない」が「ある」ということに直面することは強烈な心の痛みを伴いますから、心の防衛機制が働いて、そう簡単にはできないことでもあります。
「死」を理解するのはゆっくりと時間をかけた歩みであることを改めて教えてもらったケースでした。
