それって本当に現実なの?

生活と心

テレビを見ていて

録画していた番組を見ている途中でコーヒーを飲みたくなりました。そのため一時停止ボタンを押して立ち上がろうとしたのですが、押すタイミングが悪かったためか、映っていた女優さんの顔がとても不細工になってしまいました。

上目づかいの白目。鼻は膨らみ口元は歪んで頬の肉がたるんでいます。普段はとてもきれいな女優さん。でも一時停止をしたらそういう姿で止まってしまうということってありますよね。

それを見て、ある生徒のことを思い出しました。

ある生徒

その子は他人の目が気になってしまって、それでなかなか登校できませんでした。登校してしまえば反対に、元気すぎるくらいに元気でハイテンションでした。

「自分はかわいくない」と思い込んでいて、自分に自信の持てない不安定な子でした。しかし、そんな自分をごまかすために周囲には元気いっぱいの姿を見せているようでした。躁的防衛というやつです。

そして帰宅してからはヘトヘトです。そして、翌日はなかなか学校に行けませんでした。

登校前の確認

この子が登校する前はとても大変でした。自分の姿が他人の目からみて少しでもおかしいところがあると、すぐに自信をなくして登校できなくなっていました。

おかしいといってもたいしたことはありません。寝癖がちょっとついているとか、目が腫れぼったいとか、そういう微妙なものです。本人以外は分からないことも多かったです。

「誰も気にしないよ」と言ったところで納得することはありません。それどころか、「誰も自分の気持ちを分かってくれない」といってふさぎ込んでいました。

本人が自分のイメージ通りでなければそれでその日は終わり。登校もしません。

自撮りで確認

他人の目からみて客観的にどうみえるかを確認するための方法として、スマホでの自撮りをしていました。そこに写っている自分の姿がおかしくなければ、それでやっと安心して登校できるのです。

その自撮りですが、正面から撮って確認、次に右側からそして左側から、さらに斜め右からといった具合に、いろいろな方向から自撮りをしては確認するということをしていました。

動画で確認

次第に確認作業はエスカレートして、今度は動画での自撮りになりました。正面や右側からだけでなく、笑顔の自分やおしゃべりをしている時の動画を撮影して確認し始めました。より自然な姿を映しとろうとしたのでしょう。

そして、ある時、その動画をふいに止めた瞬間に映し出された画面を見て、彼女は大きなショックとはっきりとした手ごたえを得ました。

やっぱり思ったとおりだ!

映し出された姿

そこには、先の女優さんのように、醜い姿の自分が写っていました。

そして彼女は「やっぱり自分はかわいくないのだ!ここに客観的な事実が映し出されている!」と感じました。

彼女が恐れていた現実、しかし、どこかで探し求めていた現実がそこにはありました。「自分はかわいくない」という現実です。

醜くてかわいくない自分の姿が映し出されていたので、彼女は「やっと見つけた!」「やっぱりかわいくない!」という確信が得られたと話していました。

そして、学校には登校できなくなりました。

1/30秒の現実

スマホの動画というのは1秒間に30枚の静止画像をつなげて作られているそうです。ですから、そこに映し出されているのは1/30秒の現実です。

人の目では確認できないほどの短い時間です。ですから、それは現実とは言えませんが、スマホに映し出されているのですから、まぎれもない現実でもあります。

そう考えると、現実とは何なのかということを考えざるを得ません。

リアルとアクチュアル

彼女は、スマホに映し出された1/30秒の姿をリアルなものとして受け止めました。リアルというのは、主観的で体感的な現実のことを言います。

実際には(アクチュアルには)、人の目ではその1/30秒の世界を捉えることはできません。現実的には(アクチュアルには)、一瞬の出来事すぎて見ることも記憶にとどめることもできないのです。

ですから、その醜い姿も実際には(アクチュアルには)だれの目にも見えないのですが、「確かに、ここにこうして写っている」という意味では現実的(リアル)なものでもあります。

リアルとカウンセリング

カウンセリングでは、本人のリアル、つまり内的現実を大切にします。クライエントさんが世界の中でどのような体験をリアルにしているのかを理解しようとします。クライエントさんの語ることは、このクライエントさんにとってはリアルな現実なのだと考えて受け取ります。

それは、アクチュアルにみると現実とは言えないかもしれませんが、それはそれとして脇に置いて、クライエントさんにとってのリアルな現実を理解しようとします。

アクチュアルとカウンセリング

クライエントさんの語る世界はリアルとアクチュアルとの重なりが少ないこともあります。その重なりが少なければ少ないほど、世の中の実際、普通の人たちの実際、世間といったものから離れていってしまいます。

つまり病理が重篤なものになっていきます。

ですからセラピストは、クライエントさんには「実際には」「普通は」といった現実も参照できるようになってもらいたいとも思っています。

クライエントさんには、自分の体験しているリアルはそれとして、実際のところはどうか、実際の現実はどうか、という考えもできるようになってもらいたいわけです。

ちょっとした勇気が必要

リアルとアクチュアルを参照しながら、アクチュアルな現実を多めに参照できるようになっていくと、社会での生活がすこし楽に感じられて「普通」の感覚を回復していくように思います。

ただそれは自分のリアルを手放すことでもあり少々勇気のいることです。リアルを手放すことは、自分の確信していることを手放すことにも通じますから、自分の確信、信じてきたものが揺らぐことにもなります。

サイコセラピーの中では、そのような作業が展開することもあります。

 

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