誕生日の新聞
部屋の片づけをしていて、捨てるに捨てられなかったある新聞がありました。それは私が誕生した日の新聞です。祖父が記念として保存してくれていたのです。
50年以上前の新聞です。もうボロボロになっていますので、思い切って捨てることにしました。ただ、祖父の気持ちも大切にしたいものです。祖父は、孫の人生がスタートした日に世の中ではどういうことが起こっていたのか、そして、これからどういう世界で生きていかなければならないのか、ということを孫に伝えたかったのかもしれません。
そう勝手に解釈して、一通り読んでから捨てようと思い読み、始めました。
字が小さい
まず驚くのは文字の小ささです。今の新聞と比べてみると、だいたい1/4ほどの文字の大きさです。紙面にびっしりと細かい字が書き込まれていますので、老眼鏡が必須です。
記事の書きぶり
今の新聞より記事はとても読みやすいです。描写が豊かなんですね。テレビがカラーになるかならないかという時代でしたから、その場の雰囲気が分かるような書き方になっています。
たとえば、「長島、動物的なカン」という野球の記事はこんな感じ。
「大きな歓声が落胆のため息にすり変わったとき、江夏はそっとベンチから抜け出した。五回無死、一、二塁で野田の二塁ライナーが土井の好守にはばまれたからだろう。彼の口からこんな言葉がなんのためらいもなく飛び出した。『何度やっても巨人はいいチームだな。つくづくホリ(堀内)がうらやましいよ』(さらにつづく)」
こういう書き方だったのですね。ドキュメンタリータッチで引き込まれます。
記事の内容
教育欄もありました。M君という中1の子が自転車泥棒をして補導されたそうです。なぜそんなことをしたのかとわけを聞くと、どうしても欲しかったからという答えでした。母親は、「テストの成績が伸びたら買ってあげると約束したのに」と泣きじゃくる始末。
このことを伝え聞いた学級担任は、M君の家庭のことを考えたそうです。
担任の先生によると、M君の家庭は夫婦共働き。すぐにモノを買い与えるけれども、なぜ夫婦で共働きをしなければならないのか、家庭の中でM君がどんな存在なのかといったことを話したり、心を通わせたりする親子の交流はないのだろう、ということ。
担任がしたことは
担任はM君の同意を取り付けて、このことを学級の生徒にぶつけてみたそうです。そして、「私はM君のために何ができるか」ということを班ごとに話し合わせたとのこと。
すると生徒たちからは「放課後、M君の家に行って自分が得意な数学を教えてあげる」という回答があったり、「あなたは英語が得意だから英語を教えてあげなさいよ」などと言われて英語を教えることになった子がいたりして、いろいろな支援策が出てきたそうです。
この話し合いの後、M君は担任の先生に「先生、みんな僕のことを心配してくれているんだね」と語り、クラスの中でも明るさを取り戻していったそうです。
50年前の学校はこういう感じだったんですね。なんともビックリです。50年で人はかなり変わりますね。
情報化社会の不安
「情報化社会の不安」という記事もあります。50年以上前から、情報化社会は問題になっていたのですね。これも驚きです。この時代の情報化社会の不安として、次のような例が挙げられています。
例えば一人の主婦が、ある瞬間から日本中のあるいは世界中のテレビの場面に登場させられて、その表情一つ短い発言の一つまでが、その人の気持ちとは無関係に、世間であげつらわれることになり、その主婦は、縁もゆかりもない人々の無責任な意見の間(ま)に間に、翻弄されることになるというのです。
つまり、そのような事態が、いつのどの瞬間このわが身に降りかかってくるかわからない社会、これが情報化社会の不安であるということらしいです。テレビという技術革新によってもたらされたという文脈です。
安定の広告欄
広告欄は、雑誌の記事が占めています。芸能人のゴシップ、子育て、毎日のおかずなどがあり、これは、今も昔もあまり変わなりかもしれません。安定しています。意外と多いのが薬の広告。これは今ではあまりないように思います。
生活文化とこころ
生活の変化がどのように人々の心や人々の関係性を作り変えていくのかといった、生活文化と心理学をかけ合わせたような研究は意外と少ないものです。
学校では、「昔は発達障害の子はいなかったですよね?」とベテランの先生から質問されたり、「昔はこんなに多動の子はいなかった」という愚痴を聞くことがあります。
人は社会に適応しますから、社会の変化が大きくなれば、当然、大人の心も子どもの心もその関係性も大きく変化していくのだろうと思います。そういった歴史的な視点から、人々の心の変化を研究するのもなかなかおもしろそうだと考えたりしています。