フィールドワークにて
学校でフィールドワークをさせてもらっていた時のことです。授業中、自閉スペクトラム症(ASD)の診断のある子ども(小1)が手の空いていた先生とブランコをしていました。
この子は授業に集中できない時は、少し休むことを目的として、こうして過ごすことが許されていたのです。普段は通常学級で過ごして授業をうけていたのですが、ときどきこのような息抜きの時間を必要としていました。
ブランコから落ちて
そのブランコの様子を私も近くで見ていたのですが、この子を見ていた先生に電話がかかってきたため、ちょっとの時間、私がその子を見ていることになりました。
この子は気持ちよさそうな声を出してブランコをこいでいたのですが、次の瞬間、ブランコから落ちてしまいました。私はあわててブランコを止めたので幸いけがはありませんでした。
ただ、この子のズボンは砂だらけになってしまいました。この子とは顔見知りだったので「大丈夫?」などと言いながら私はポンポンとズボンの砂を払ってあげました。なんの躊躇もなく、自然と身体が動きました。近くで見ていた大人として当然の振る舞いだと思います。
ぶったたいているんじゃねーよ
するとちょっとの間があってから、彼は突然怒り出しました。「お前、ぶったたいているんじゃねーよ!」
私は一瞬何が起きたのか分かりませんでした。こちらは汚れたズボンを払ってあげているつもりでしたが、この子はたたかれていると受け取っていたようです。
「ほら、ズボンが砂だらけだからこうして砂を払っているんだよ」といったら、この子は「ん!」という表情になって、少しは納得したようでした。
相手の意図が分からない
自閉スペクトラム症には、相手の意図が分からないという特徴がありますが、それはこういうことなのかと学ばせてもらいました。自閉スペクトラム症の本などにはこういう事例がいくつもあります。
電話に出たASDの子が、「お母さんいますか」と電話口の人から言われて「います」と答えたままじっと待っている。→「お母さんはいますか」の中に「いたら電話を替わって下さい」の意図が入っていることが理解できない
おかあさんが「弟を見ていてね」と頼んだところ、弟が危険な行動をしているのに、それをただ見ていた。→「弟を見ていてね」の中に「危険なことをしたらやめさせてね」の意図が入っていることが理解できない。
「字義通り」にしか理解できず、その中に含まれている「意図」は通じないということが特徴です。軽度のASDの子であれば、意図をしっかりと伝えると、ある程度は分かってくれるように思います。
学校は嘘ばかり!
他にもいくつかの経験があります。ASDの診断を受けていたある子(小3)は、図鑑が大好きでした。図鑑ばかり読んでいます。図鑑はカタログ的知識などと言われますが、名前とそのものが1対1で対応しています。たとえば、これはオオクワガタ、これはミヤマクワガタと写真と名前が1対1対応です。
私は、「どうしていつも図鑑ばかり読んでいるの?たまには物語とかも読んでみたら?」と聞いてみました。するとこの子は私をキッとにらみつけて「どうしてあんなウソの本を読まなきゃいけないんだ」と怒りだしました。
この子によりますと、物語というのはウソの話であり、学校でウソを教えるのはけしからんということです。国語の教科書にはたくさんの物語文が掲載されていますが、そんなウソは教えてはいけないというわけです。
「だって、ここは学校だよ、学校でウソを教えてはいけないでしょ!」、「ウソは泥棒の始まりだよ!」。町の図書館に物語があるのは仕方がないにしても、学校という教育の場でウソを教えるのは許せない、ということのようでした。
独特の思考の連鎖
ASDの子は、あまり物語を好まないようです。それは登場人物の意図が分からないという理由もあるでしょう。しかし、「物語=ウソ=悪い」という思考の連鎖が生んだその子なりの論理があり、それが定着していることも影響しているように思います。
これはかなり個性的な思考の連鎖によって作られた非合理的な信念とも呼べるものなので、周囲の人はなかなか理解できません。ただ、子どもの話を丁寧にほぐすように聞いてみれば「そういうことだったの!」と、それなりの論理があったことを知ることもあります。
まずは支援者が理解する
もし、支援者側がその理解に達したあと「ふつうはどう考えるのか」を教えてあげるならば、子供側もそれなりに納得してくれることが多いように思います。
支援者側が子どもなりの論理を理解しないまま、「普通はこうする」「みんなこう考える」などと頭ごなしに言っても、ASDの子は「自分は悪くない」と頑なになるように思います。
「普通」を伝える順番
まずは独特の思考の連鎖による子どもなりの論理を支援者側がストンと理解すること。その後「多くの人はどう考えるか」、「ふつうはどのように行動するか」といった「普通」を話して聞かせることの順番が大切だと思います。
この子の場合、「物語はウソだから悪いと考えていたんだね。それはなるほどと思ったよ」と伝え、その後「あなたはウソっていうけど、物語って誰かを傷つけるようなものじゃないでしょ。大切なことが書かれていたり、想像してそれを楽しむ人がいるんだよ。だから物語はウソじゃないんだよ」と伝えました。
あまり上手な説明とはいえませんので、この子は納得とまではいきませんでしたけれども、こちらに歩み寄って理解しようとはしてくれていたように思います。
潜在学習
何かを学ぶために学校に行きます。塾も習い事も全て何かを学びます。一つ一つ基礎から積み上げて習熟していく。そういう意識的な忍耐と努力を必要とする学びがあります。
一方、あまり意識していなくても、自然と学んでしまっていることもあります。潜在学習などと言います。「物語=ウソ=悪い」といった学びです。
一つ一つを取り出すと間違っていないかもしれません。「物語=ウソ」は間違っていませんし、「ウソ=悪い」も間違っていないと思います。
ところがそれらがつながって全体として間違った理解になっていく。放っておけばそのような学習が潜在的に進んでいって、それなりの論理もあるので修正が難しくなる。このようにしてASDの人の思考は作られていく側面があるように思います。
支援者の学びほぐしから
ASDの人と話が通じたと思う時。それは、支援者自身が子どもなりの論理に目を向け理解すること。そのためには、支援者側が自らの考え方や論理を振り返り、それを自覚し、いったん解除すること。つまり支援者側の学びほぐし(unlearning)が行われた時。それがASDの人との心の通路を作り出す第一歩になる気がしています。
